講師になりたかった。 なぜ? と聞かれると理由はわからない。なんとなく漠然と、講師になりたいと 思っていた。 かといって、そのことを誰かに話したわけでもなく、自分のココロの中で密かに 思っていただけだった。 というのも、私には講師になれる要素が…
私は最近、傘をなくした。 傘をどこかに置き忘れることはあっても、なくす、つまりどこに置いてきたのか、どこでなくしたのかわからなくなる、ということは今までなかったのに。ここ数年、年齢を重ねてきたせいか、人の名前や物の名前が覚えにくくなっている…
「えっつ、そんなんないですよ」 「えっつ、ないの?」 「ないですよ、それ、漫画の見すぎちゃいますか?」 な・い・ん・だ。軽くショック。 私は中学、高校と6年間女子校に通っていた。 女子校だから男子はいない。当たり前だ。 本当は、公立に行きたかっ…
私は負けず嫌いだ。 あの人にも、あの事にも勝利したい。敗北感なんて感じたくなどない。 けれども、負けはやってくる。あの人にも勝てない。気づけば敗北感だらけだ。 ある時私は思った。 私はいったい何に、何のために勝とうとしているのだろうか? 勝ちた…
「すみません、もう一枚袋ください」 「大きさは?」 「大で」 「はい、どうぞ」 私はこの会話を彼女と何度繰り返したことだろう。 家から歩いて3分のところにある大型スーパー、もうかれこれ10年以上、一応主婦だからほぼ毎日通っている。 それだけ通っ…
歳をとってきたせいなのか、かなり脱いでも平気になってきた。 お金を稼げるような、そんな人様にお見せできるような価値のあるものを持っているわけでもないし、有名人でもない。だから等身大の自分というものがわかってきたのかもしれない。 だいたい若い…
チカちゃんは、電柱につながっていない家に住んでいる。 だから2年前に家を新築した後、メーター検針の人がやって来た時には、家の周りをぐるぐる回って一生懸命メーターを探していたそうだ。しかし、探せども探せどもメーターは見つからない。そこで、検針…
私はしばしば夫を無視する。 これは夫、いや私たち夫婦のためなのだ。 自分で言うのもなんだけれど、私は「察する能力」がある方だと思う。あの人は次にこういう行動をするだろう、あの人は次にコレを欲しがるに違いない、と察する能力。この能力は仕事では…
電車の中で私の目の前に座るステキな女子。ものすごく美人というわけでもないのに、なぜかキラキラして見える。私は吊革につかまる手に力を入れ、彼女を観察してみた。 うん、やっぱり顔って訳じゃない。彼女は確かにかわいい、けれどそこじゃない。髪型? …
「ここが死のゾーン」 「それで、あっちが生のゾーン、そして向こうが老いてゆくゾーンね」 今、私は輪廻転生の現場に来ている。こんなに間近で現場をみることができるなんて知らなかった。 まず私が案内されたのは、死のゾーン。ええ?! そんなゾーン案内…
「こんなの、雑草ばかりじゃないか」 おじさんはがっかりした様子でそう言った。 私は夏休みの自由研究をやりたくなかった。けれど、宿題はやらないと怒られる。仕方がないので自由研究は「植物採集」にすることにした。 といっても、そもそもやりたくないの…
私は常に見張られている。 それを考えると憂鬱になり、気が滅入る。逃げても逃げても追いかけられ、決して逃れることはできないのだ。 ある休日、私は朝からだらだらと何もせず、ゴロゴロして過ごしていた。 「それでいいの? いいわけないよね? 大切な1日…
「その話、何回も聞いたわ」 90歳母に対して、最近この言葉を発することが多くなった。 これはお年寄りに言ってはいけない言葉だそうである。 前にも聞いた、昨日も聞いた、と言われることが大きくプライドを傷つけるらしい。 とはいえ、こっちにだって言…
「もしもし、山田さんのお宅でしょうか? わたし中村と申しますが、洋一さん いらっしゃいますでしょうか?」 「はい、ちょっとお待ちください」 受話器を置く音。「ああ、またお母さんだ……」 夜9時に電話するって言っているのに、いつもお母さんが出る。毎…
老眼。なんというネーミングセンスのなさ。「老いた眼」って、 いったい誰が名づけたのか? もっとましな名前はなかったのだろうか? この2文字を見るたびに怒りさえこみ上げてくる。聴覚が衰えても老耳とは いわないし、腰が曲がってきても老腰とは言わな…
私は今悩んでいる。 髪を切ろうかどうか悩んでいる。 そんな悩むほどのことかと思われるかもしれないが、髪は女の命と言われるよう に、いくつになっても髪を切る時というのは悩むものである。 たとえばそれが「え? どこ切ったの?」とまわりから言われるぐ…
「こんな古臭くて、和風な家は嫌やわ! 庭なんかいらんのに無駄に広いし、 収納は少ないし、和室ばっかりやし! もっと今風のおしゃれな家に住みたい!」 今から20年前、わがまま娘のK子は私を見てそう言い放った。 私は神戸の山の上に建つ、築35年の日…
もうやめたい…… 本気でそう思った。 絶対に、やめられないことはわかっている。 でももうこれ以上無理。 かれこれ3時間以上は経っているだろう。体中が痛い。明らかに疲弊している。 それでもこの3時間の行動に自分自身が大きな進歩を感じていたとしたら、…
私は高校生の時、男の先生の恋愛相談に乗っていた。 今考えると、異様なことのようにも思えるのだが、その当時はそんなにおかしなことだとも思わず、むしろ、私のような小娘でいいんですか? 恐縮です。くらいにしか考えていなかった。 その年の夏休み、先生…
たぶん一生ご縁がないと思っていたオペラ。 私にとってオペラといえば、映画ゴッドファーザーの最後のシーンで、 アル・パチーノ演じるマイケル・コルレオーネが、オペラを見に行った帰りに 暗殺されそうになったあの場面。 オペラとは、ヨーロッパの貴婦人…
「だってお兄ちゃんだから」 この一言の威力、私にはとてつもなく大きな壁だった。 小さいころ、ごはんやお味噌汁の出てくる順番はいつも兄が先だった。 お肉やお魚の大きさは、いつも兄の方が大きかった。 「なんで私はいつも後なん?」 「なんでお兄ちゃん…
「そういう部屋には、たいていヌシがいるんですよ」 これを聞いたとき、私はまだどこか他人事だと思っていた。 私は小学生の頃から手芸が好きだった。フエルトや刺繍糸などの材料と、作り方の本を交互に見ながら、これから何を作ろうかと思案するのがとても…
私にはギャップがある。 正直言って学生時代、そこそこモテた時期がある。だけど、なかなか相思相愛にはならなかった。なぜかというと、この「ギャップ」のせいだ。 私は表向き、おとなしくて従順な人に見えるらしい。だから、そういう人が好みであろう人が…
谷まん(たにまん)。私たちは親しみを込めてそう呼んでいた。 彼の名前は谷川先生。高校3年生の担任、教科は現代国語担当。 アンパンマンが髭を生やしたような風貌からなのか、 はたまた肉まんのようにまんまるな体型だったからなのか 定かではないけれど…
7号車7番C。 これは、私が新幹線を利用するときの指定席の番号。 77の席と私は勝手に呼んでいる。 5年ほど前から、仕事の関係で新幹線を利用することが多くなった。 多い時には、週に2回ぐらい、往復で考えると4回ぐらい乗ることもある。 新幹線に乗…
「ちょ、ちょっと待って! あなたと、私は、知り合いじゃないですよね?」 きっとあの時、私の頭の上には「はてなマーク」が沢山出ていたに違いない。 私は、一歩外に出れば80%以上の確率で知り合いに会うような、そんな田舎町に住んでいた。近所の人は、家…
拝啓 暑さが日ごとに加わってまいります。お元気でお過ごしでしょうか。 あなたとお会いしなくなってもう5年ほど、いやもっとになるでしょうか。以前はあんなに頻繁に会っていたのに、今では会うことがなく、あの頃が懐かしく思えます。 あなたはよく私を頼…
私は「ありがとう」が言えない。正確にいうと言えなかった。 私は落し物を拾ってくれた人がいれば「ありがとうございます」と言うし、友達と会って楽しい時間を過ごしたあとには「今日は会えて嬉しかった! ありがとう!」と言ったりもする。一日に何度も「…
「この度高齢のため、9月30日をもちまして廃業致すことになりました。 今までの御愛顧に感謝致します」 母が廃業した。御年89歳。 昭和34年4月に開業してから、平成28年9月まで、57年と5ヶ月間。 神戸の下町で歯科医を営み続けてきた母。 私が…
「グッドモーニング、ミスアオキ」 「グッドモーニング。ハウアーユー?」 「アイムファインセンキュー、アンドユー?」 「ファインセンキュー」 お決まりのあいさつで始まるミスアオキの英語の授業。 ミスアオキとは、私が通っていた中高一貫女子校の英語教…