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まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

私は夫を無視することにした

まるこ

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私はしばしば夫を無視する。

これは夫、いや私たち夫婦のためなのだ。

 

自分で言うのもなんだけれど、私は「察する能力」がある方だと思う。あの人は次にこういう行動をするだろう、あの人は次にコレを欲しがるに違いない、と察する能力。この能力は仕事ではとても重宝されるし、評価だってもらえる。こんな能力をもった私ってすごいでしょ? と、どこかで優越感を持っていた。だから、この能力を色々な場面で使ってきたし、喜ばれると素直にうれしかった。

 

けれども、この能力をあまり使ってはいけない場所がある。それは家庭だ。

 

調子に乗りやすい私は、夫に対しても「察し力」を存分に使っていた。水が飲みたそうだな、と感じたら「はい、お水」と先回りして夫に差し出した。と言っても、私には透視能力がある訳ではないから、水を差し出しても「今いらない」と言われることも多々あった。その度に私は、読み間違えた! もっと的中率を上げなければ! と自分に鞭をうち、次のリベンジに向けて燃えていた。

 

ある日、夫が不機嫌な様子で帰ってきた。さっそく様子を察知した私は頭の中で分析を始め、せっかくこれから楽しくご飯を食べるのだから、明るい雰囲気にしなければいけない、という結論を出した。ちょうどテレビではおどけたCMが流れていた。これだ! と思った私は、同じようにそのCMのまねをして夫を笑わせようとした。すると彼は、私がつかんでいた夫の腕を大きく振り払い「さわるな!」と大声で怒鳴った。

 

ああ、やってしまった……また察し方を間違えてしまった。

冷静に考えてみれば、イライラしている人に向かっておどけて見せるのは、ある意味火に油を注ぐようなものなのかもしれない。しかし、察し方を間違えて打ちひしがれる私は、この後どうするべきなのか、また必死に「察しよう」としていた。

 

そのとき、ふと浮かんだのは

 

「そもそも私は察する必要があるのだろうか?」

 

という問いだった。必要があるという回答に持って行きたい自分と、本当にそうなのか? と訊ねてくる自分に挟まれてしまう。必要はない! と言ってしまうと、今までの察し力で優越感を得ていた自分が崩壊してしまう。私のやってきたことはとても良いことだったはず。私は間違ってなんていないはず……だと思いたい。けれども、何だか感じるこの違和感はなんなのだろうか。この関係がそんなにいいものだとも思えない。

 

私はなるべく冷静に、今起こっていることを考えてみようとした。

 

今起こっていることは、負のスパイラルだ。

私が「察し」て先回りすることで、夫は自分のことを自分の言葉で表現する機会を失ってしまっていたのだ。私がその機会を奪っていたとも言える。この状態に慣れてゆくと、夫は何も言わなくても察してもらえることが当然となり、どんどんモノを言わなくなる。私の的中率も多少は上がってゆくから、ますます夫は「察し」てもらえることが当たり前になっていってしまう。

そんな環境が当たり前になってゆくと、私の察しが外れて夫の思う通りにならなくなると、イライラし始めるのは当然だろう。そうじゃない! もっと察しろ! と思うのも無理はない。私は私で、察しが外れると自分の能力もまだまだなのだと自分を責め、もっと的中率をあげることに全力を注ぐ。

しかし、私はそのことにほとほと疲れ果ててしまったのだ。

 

こうなってくると「私、察し力はいいのよね」などと得意気になっていた自分が恥ずかしい。それだけではなく「あなたが自分を表現する機会を奪ってしまってごめんなさい」と夫に対して申し訳なく思うようになった。

結局のところ、私たちはお互いに依存しあっていたのだ。「察する方」と「察される方」として。

 

察する……なんて言っているが、要は「人の顔色をうかがう」ということだ。そこには自分の意思がない。あなたが思うように私は動きます。いち早くあなたの望みを叶えます。ということなのだ。大げさに言えば、私は自ら夫の使用人に立候補していたことになる。

けれども、私はそんなことがしたかったわけじゃない。夫だってそうしたかったわけではないだろう。私たちは関係性を見直さなければならないのだと思った。私たちはお互いにもっと自立しなければならないのだ。そこで、私は夫を無視することにした。

 

「私はあなたのことを察するのをやめます」

 

と、夫に告げたとき、夫は戸惑った様子だったけれど、そのうち状況を理解したようだった。

無視といっても一切会話をしないなどという訳ではなく、文字通り夫の「察して欲しい」を無視することにしたのだ。本当は私が気づかなくなれれば一番いいのだけれど、察し能力はそうは簡単になくならない。だから無視。無視という言葉が悪ければ「待つ」でもいいかもしれない。そうなのだ、実のところ私はせっかちだから待つことが苦手なのだ。

たとえ夫が水を飲みたそうにしていても、本人がきちんと言葉に出さない限り、私は気づかないふりをする。夫は自分の事を自分で語る必要があるのだから。

 

そういうわけで、現在我が家では、私は「待つ」という練習を、夫は「自分の言葉で語る」という練習を、目下のところ継続中なのである。

 

記事:渋沢 まるこ