まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

悔しかったら、ずうずうしくなってみろ!

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私はずうずうしい人が嫌いだった。

繊細さを理解しない、人との距離感をはからない、そんなずうずうしさ。

 

ずうずうしい人の代名詞と言えば「オバちゃん」だろう。

私も明らかに「オバちゃん」に属する年齢となり、あろうことか、ずうずうしさに磨きがかかってきている。あんなに嫌っていたずうずうしさ。私も年齢とともにどんどん侵食されて、もはやこれまでか……と思っていたのだが、むしろ、ずうずうしさを身につけると、生きることが楽しくなってくるような気がする。

 

若い頃、謙虚のかたまりだった私は、ずうずうしい人を見ると吐き気がした。私は絶対ああはなるまい。あんなふうになったら人間はおしまいだ、くらいに結構本気で思っていた。どうしてずうずうしい人が得をして、謙虚な私のような人が損をしなくてはいけないのか? それは間違っている。誰か、あのずうずうしさに天罰を!

 

電車で空いた席に座ろうとしても、横からやって来てどかっと席を占領されてしまう。

「おねえさん、若いからいいわよね? 私たちの方が歳いってるから」

こういうときだけ……。いつもは若いつもりなんでしょ? 年寄り扱いされたら気分悪くなるくせに。私だって今日は疲れているの。おばさんたち、デパートの買い物袋を沢山持って、趣味の買い物なんでしょう? 買い物して、みんなでお茶でもして愚痴を言い合って、スッキリしてきたんでしょう? 私は仕事をしてきた帰りなの!

 

ずうずうしい人は考えてみれば、若い頃から周りにいたような気がする。おばちゃんではなくて、小中高の同級生であっても。私には絶対にできないようなことを、あの人たちはやすやすとやってのける。そんなこと、私の美意識が許さない。だなんて、自分を勘違いして自意識過剰な位置づけで考えていたのだけれど、本当はただうらやましかっただけなのではないだろうか。

 

あの人たちは、いつも偉そうにして、くだらない話題ばかりしているわね。ふん、バカみたい。私はあの人たちとは違うのよ。なんて思っていた。けれど、本当は私もその仲間に入ってみたかったのではないのか? くだらない話題をしてみたかったのではないのか? そもそも、そんなに私は高尚な話題ができていたのだろうか? 私は何様のつもりだったのだろう。

つまり、私の中の「ずうずうしい」はイコール「うらやましい」であったことになる。

言葉は多面的だ、と思う。くだらない話題、は裏を返すと面白可笑しい話題にもなる。偉そうという言葉も、憧れだったりする。私は必死で自分を正当化するために、うらやましいことをずうずうしいということに変換していたのだ。自分のことを謙虚だと思っていたけれど、謙虚なわけではなく、ただ臆病だっただけなのだ。

もちろん、私にとってすべての「ずうずうしい」が「うらやましい」というわけではないのだけれど、上手にカモフラージュさせていた。

 

むろん、気遣いができない、人を踏みにじるようなずうずうしさは今でも嫌いだ。

しかし、うらやましいこととは区別しなくては……と思う。私は認めたくなかったのだ。本当はうらやましいと思っていることを。そのことを他人に悟られることを。無意識だったけれど、自分の中で矢印の向きが正反対の感情が同居していた。「ずうずうしい」と忌み嫌う感情と「うらやましい」と憧れる感情。だから辛かったのだ。矢印の向きが正反対ということは、感情が引き裂かれてしまうことになるのだから。私が「オバちゃん」になって、ずうずうしくなって来ているということは、その感情が融合しつつあるということなのかもしれない。

うらやましいと思うくらいなら、自分もやってみればいいのだ。ずうずうしくなってみればいい。電車の席に座りたいのなら、どんなことがあっても座る。譲るなら譲る。そこにあるのは「自分の選択」だけだ。偉そうにしたいなら、すればいい。くだらない話をしたいのなら、思いきりすればいい。ただそれだけのことなのだ。なのに、そこにおかしなカモフラージュをして、自分を正当化してみたり、相手を責めてみたり……。つくづく私は面倒臭い人間だなと思わずにはいられない。自分で散らかしておいて、誰も掃除をしてくれないとわめく子どもみたいだ。

 

自分の選択ができなかったのは、自分に自信がなかったからだ。自分で決めなければ、決めてくれた誰かが責任を取ってくれるはず。私じゃないから。私の責任じゃないから。本当はそんなはずがないのに。だって、自分で決めないことを「自分で決めて」いるのだから。だから結局誰のせいでもないのだ。すべて、自分のせい。

気付くのがかなり遅かったけれど、もう、いい加減大人になろう。自分で自分に責任を持つのだ。自分で決めるのだ。ちゃんと「オバちゃん」になろうではないか。ずうずうしく、それでいて憧れられ、うらやましがられるオバちゃんに。

 

ずうずうしい人が嫌いだなんて誇らしげに言っていたあの頃の私。自分の責任すらとれない弱くて青臭いあの頃の自分に言ってやりたい。

 

「あんた、悔しかったらずうずうしくなってみな!」

 

 

記事:渋沢まるこ