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まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

私は 「かわいそうな子」 でした

まるこ

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「かわいそうに」

 

私はこの言葉を何度聞いたことだろう。母はことあるごとにこの言葉を発していた。近所の子が転んで膝を擦りむいた話をしたときも、いじめられている子の話をしたときも、大人が落ち込んでいるときも。あの当時は、確かにかわいそうだよね、と私も思っていた。けれども、今考えると一体かわいそうってなんなのだろうかと思うときがある。

母はときに「かわいそう」と言って、やりすぎではないかと思う行動に出るときがあった。

 

私が高校生のとき、あるクラスがクラスごと全員謹慎になる、という出来事がおきた。そのクラスの中の一人の子の家が民宿を営んでおり、夏休みにその民宿でクラスの「宴会」が行われたらしい。どこからバレたのかはわからないが、宴会ゆえ酒やタバコが飲まれており、学校側も分かった以上処分をせざるを得なくなったのだ。

私はそのクラスではなかったのだけれど、仲良くしていた先生がそのクラスの担任だった。謹慎が決まってから、その先生は明らかに落ち込んでいた。クラス内の一人や二人が謹慎ならばまだしも、クラス全員だったのだから教員内でも風当たりが強かったであろうことは容易に想像できる。確かに「かわいそう」な状況だった。

 

この件を家に帰ってから何気なく話したところ、母は「まぁ、かわいそうに。高校生ならお酒を飲むとかちょっとやってみたい年頃よねぇ。先生は直接関係ないのにねぇ」と言った。ここまでならば、普通の親子の会話としてよくある話ではないかと思うのだけれど、うちの母がやりすぎだと思うのはここからだった。

 

「先生を励ましてあげたいから、電話番号を教えて」

 

先生が私の担任だったのであればまだわかる。しかし、担任でもなければ面識もない、ただ子どもが多少仲良くしているだけの先生なのだ。私は止めた。

 

「いや、そこまでしなくてもいいと思うけど……」

 

しかし、母の決意は固かった。早速先生の自宅に電話を掛けて「お力を落とされないように……」とかなんとか言っていた。

 

あの当時もそれは行き過ぎではないのか? と思っていたが、やはり今改めて考えてみても行き過ぎだと思う。もし私がこの先生だったとしたら、仲良くしている生徒の親とはいえ、担任でもないクラスの父兄から突然励ましの電話をもらっても、そんなにうれしいとは思えない。まして、気分的にも落ち込んでいるときに知らない人からの電話だなんて逆に気を遣わなくてはならず、面倒なだけだ。

 

親に対して辛辣なことを言うようだが、母は「かわいそう」だと思われる人の役に立つ(であろうと自分が思う)ことで、自分の存在を肯定していたのではないかと思われる節がある。子どもに対してもそうだった。

 

私はある部活を辞めようとしていた。運動部だったので朝練がもちろんあるし、夜も帰りが遅くなる。うちは学区ギリギリのところにあったため、通学に片道一時間以上かかっていた。しかも、通学は徒歩のみと決められていたため、自転車にも乗れなかった。そんなこともあって、元々体力があまりない私は続けることが厳しくなってしまったのだ。

顧問はその当時「鬼」と恐れられた厳しい先生。だから、辞めることを告げに行くのは、結構勇気が必要だった。それでも限界を感じていた私は恐る恐る退部することを告げた。「鬼」先生は私の限界をわかっていたのか、意外とすんなり認めてくれたのだった。

ここまでは、よくある学生の話だと思う。しかし、母は電話こそしなかったものの、絶対渡すようにとその「鬼」先生宛の手紙を私に託していた。中に何が書いてあったのかはわからないのだけれど、あのとき、手紙を渡さなければよかったと今でも後悔している。

 

母は娘が体力の限界で「かわいそう」なことを助けようと思って手紙を書いたのだろうと思う。母からすれば愛情だったこともよくわかる。だけど。これは「過保護」ではなかっただろうかと思う。自分が始めたことの後始末は、やはり自分でしなくてはいけないと思うから。自分で入部したのなら、退部も自分でするのが筋だと私は思うのだ。もし、このとき顧問の先生が本当に「鬼」で、絶対に辞めさせない! と言ったのならば、そのときが初めて母が登場するときだったのではないだろうか?

 

私は無意識に「かわいそう」な子どもをやってきてはいなかっただろうか? 

 

と大人になってから思うようになった。子どもの頃はとても体の弱い子どもだった。昔から私がどんなに体が弱くて、看病が大変だったか……という話を、母から何度も何度も聞かされてきた。だから私は、かなり大人になるまでずっと「病弱」だった。私ってそういう人なんだと信じて疑わなかった。

けれども、色々なことを知るうちに、少しずつ疑問が湧いてきた。

「私は本当に病弱なのだろうか?」「私は本当にかわいそうなのだろうか?」

そう思って一つ一つ検証していくうちに、どうやらそれは思い込みの部分が大きいのかもしれないということが見えてきた。事実、私は若い頃より中年の今の方がどう考えても元気なのだ。

 

子どもは、特に小さいうちは家庭の「空気感」のようなものを敏感に察知するという話を聞いたことがある。であるならば、もしかしたら私は母の「かわいそう」探しを察知して、そのように振舞っていたということは考えられないだろうか。

そして私もその状況に慣れており、大人になっても無意識に「私ってかわいそうでしょ?」と人から同情されたい思いが消せないでいたのではないかと思うことがある。そういう風に同情してくれる人を、私は長らく「優しい人」だと思っていた。私はどこかで「私は弱いから、誰かに寄りかからないとだめなの」とも思っていた。やはり私は、かわいそうな人を無意識に演じていたのではないだろうか。これではいつまでたっても依存心の強い、自立できない子どものままだ。

 

そう気づいてから、私は「かわいそうな子ども」をやめた。親も老人であるし、子どものままの私でいた方が、もしかしたら親は嬉しかったかもしれない。事実、私は親に冷たくなった。けれど仕方がない。私の自立のためには、私が誰かの為でなく、自分のために生きるためには、少なくとも一旦こうしてみるしかなかったのだ。私は私のために生きる。親も子どものためではなく、自分のために生きる。お互いに卒業しなければいけないのだ。

 

親には感謝を! 親孝行しなくてはいけない!

こういう世の中で言われていることもわかる。私だってできればそうありたいと思う。だけど、その前にやることがあるのではないか? とも思うのだ。親も子どももお互いに自分のために生きてこそではないだろうか? それとも、依存したままの方がお互い幸せなのだろうか? 選択は人それぞれだ。

 

たとえ間違っていると言われても、私は自分のために生きる方を選ぶ。かわいそうな子から脱却するために。