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まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

私という存在が彼の中から消えたとき

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「ああん、足が折れた……」

「そんなすぐに、足が折れるかいな」

 

そいう言いながらも祖父は、「じゃあ、ちょっとそこに上がり」といって、私を小さな石段に上がらせると、背中を向けて「はい、どうぞ」という。

私は嬉しそうに祖父の背中に飛び乗る。これが祖父におんぶしてもらう時の作戦だった。

 

祖父は私をよく散歩に連れて行ってくれた。よく思い出すシーンは電車に乗って桜を見に行ったときのことだ。当時5歳ぐらいだったと思う。桜の名所の公園まで駅から15分ぐらいかかっただろうか。子供の足では結構な距離である。歩き疲れると私は例によって「足が折れた」作戦を使った。「明子は疲れたらいつも足が折れるんやな」と言いながら、祖父は嫌がりもせずおぶってくれた。

 

いや、本当は歩けたのかもしれない。実はおんぶをしてもらいたかったのだ。祖父の大きな背中にしがみつくと、嗅いだことのない匂いがした。木の匂いと汗とが入り混じったような独特の匂いが私は大好きだった。そして、一歩一歩踏みしめながら歩く祖父の足どりを背中で感じながらうとうとするのが、なんともいえず心地よかったのだ。

 

祖父は父の実家である徳島県鳴門市に住んでいた。両親が共働きだったこともあり、夏休みはいつも父の実家に預けられていた私は、毎日のように祖父に遊んでもらっていた。

 

散歩ももちろんよく行ったけれど、一番よく覚えているのは海水浴だ。すぐ近くに小さな海水浴場があった。朝起きて朝食を済ませると、祖父はステテコと白シャツ姿で自転車の後ろに私を乗せて、海水浴場まで連れて行ってくれた。祖父は砂浜でいつも体育館座りをして、海で遊ぶ私をずっと見守ってくれていた。

 

毎日のように連れて行ってもらったけれど、祖父は決して海には入らなかった。泳げないわけではないのに、真夏の炎天下に砂浜で見ている方がよっぽど苦痛だっただろうに、「一緒に入ってよ」とお願いしても「おじいちゃんはええわ」といって結局一度も海には入ってくれなかった。その理由は今でも謎のままだ。

 

海水浴から帰ると、庭に植えてあるいちじくの木から実をとって食べるのが日課だった。適度に熟したいちじくの実が毎日いくつも成っていて、私はそれを夢中で食べた。初めて食べた時の衝撃は今でも忘れられない。世の中にこんなに美味しいものがあるのかと思った。いちじくの美味しさを教えてくれたのも祖父だった。

 

もうひとつの大きな楽しみは、家の庭にあった祖父専用の納戸だった。昔船大工をしていた祖父は、その時の工具や材料を捨てることができずに、ずっとそのまま納戸にしまってあったのだ。私はその納戸の中を初めて見たとき、見たこともないような道具や部品がそこらじゅうに乱雑に置かれてあるのを見て、かなり興奮した。「これなに? これなに?」祖父に聞きまくった。祖父は私にいろいろと説明してくれた。私はそこを「秘密基地」と勝手に名付けて、暇なときには一人で納戸の中を物色して、あれこれとわけのわからない作品を作っては想像を膨らませていた。

 

歴史に詳しかった祖父は、寝る前にいつも私に昔話をしてくれた。いろんな武将の話をしてくれたのだけれど、残念ながらほとんど記憶にない。唯一覚えているのは、義経と弁慶の話だった。誰にも負けたことのない弁慶が、京の五条の橋の上で義経に負けてしまうという有名なお話だ。唯一これだけ覚えているのは、なぜかこの話だけは祖父がまるで役者になったかのように感情移入して何度も話してくれたからだった。

 

一緒に住んでいなかったからだろうか、祖父は私をとても可愛がってくれた。

優しい祖父が私も大好きだった。

 

 

ところが小学校高学年になったころから、その関係が少しずつ変わってきた。私が子供から女の子になったからだ。体が大きくなっておんぶしてもらうこともなくなった。一緒に寝てもらわなくても一人で寝られるようになったし、義経だの弁慶だの、そんな話も興味が無くなってしまった。祖父の独特のあの匂いも、残念ながらあまり好きではなくなっていた。

 

毎年夏休みに田舎に行くのは変わらなかったけれど、祖父といるよりは叔母と料理をしたり、裁縫したりする方が楽しくなった。祖父のことを嫌いになったわけではなかったけれど、一緒にいる時間は間違いなく減っていた。

 

 

中学生になると、もう夏休みだからといって田舎に帰ることもなくなっていた。部活もあるし、友達と遊んだりする方が楽しかったからだ。それでも年に数回は、墓参りのために両親と田舎に帰ることがあった。思春期真っ只中だった私は、祖父に会っても特別話をすることもなかった。昔に比べて祖父が老いてきたことには気づいていたけれど、そんなことをまさか口にだすわけもなく、ただ黙って一緒の空間にいるだけだった。

 

 

そして高校一年の夏、私は祖父がちょっとボケてきているという話を母から聞いた。それを聞いたからといって、特に何の感情もわかなかった。一緒に住んでいるわけでもないし、まあ年寄りだしそりゃ仕方ない程度の、まるで他人事だった。

 

ところがその翌年だったか、墓参りで田舎に帰ったとき、私はこともあろうか、祖父を怒鳴りつけてしまったのだ。久しぶりに出会った祖父を。祖父は認知症のため記憶もあいまいである上に、自分の思い通りにいかないことが腹立たしかったようで、理屈の通らないことをしつこく叔母に言い続けていた。始めは黙って側で聞いていたけれど、だんだんと腹がたってきて私が切れてしまったのだ。

「もう、おじいちゃん! うるさいねん! 何わけのわからんこというてるんよ! 黙って言うとおりにしたらええねん!」

 

祖父は黙ってその場に立ち尽くしていた。私は怒鳴ってから「しまった」と思った。そのときは叔母がなんとか取り繕って事態は丸く収まったのだけれど、久しぶりに出会った祖父に久しぶりにかけた言葉がそんな言葉だったことに後悔した。思ったより事態は深刻なんだとその時初めて理解した。

 

穏やかで優しかった祖父が、こんなふうになるんだ……

自分をコントロールできない祖父の姿を見るのが嫌で、私はそれ以来、祖父に会うことを避けるようになった。

 

 

そして高校3年生の春のことだった。祖父の容態があまりよろしくないということは聞いていた。けれどもう祖父のことには何も興味がなかった。はっきり言ってどうでもよかった。女子高生の興味の対象は、ファッション、恋愛、グルメ、それしかなかった。そこにちょっとだけ顔を出し始めた受験生という役割、それでもう頭の中はいっぱいいっぱいだったのだ。だから祖父がそんな状態でも、お見舞いに行こうと一度も思わなかったし、両親もまああなたは受験生だしね、ということで大目に見てくれていた。たいして勉強もしていなかったのに。

 

そしてその年の5月、祖父はついに亡くなってしまった。お通夜、お葬式のため両親が翌日から田舎に帰ることになった。「明子はどうするの?」母に聞かれたけれど、私は行かないといった。「一人で留守番はさみしいから、友達呼んで勉強するわ」と言うと、勉強という言葉にはすぐ機嫌よく反応する母は、それなら家に居なさいといって許してくれた。

 

本当は勉強する気などさらさらなかった。実はもうすぐ祖父が亡くなるであろうということはなんとなく予測がついていた。そうなると、両親は揃って田舎に帰る。当然私も一緒に来るように言われるだろう。その時にうまく理由をつけて私は行かないことにして、友だちを呼んで遊ぼう。受験勉強が始まる前に、高校生活最後の思い出として、夜通し遊びまくって発散するんだ! そんなことをこっそり心の中で決めていて、友人にもそうなった時には連絡するから! と根回ししていたのだ。

 

案の定そのとおりになった。しめしめだ。私はすぐ数人の友達に電話をして、「泊まりで遊びに来て!」と声をかけた。急な誘いにも関わらず、5人の友人が「行く!」と即答で返事をくれた。

 

そして両親が祖父のお葬式に行ってしまったあと、泊まりに来た友人たちと飲んで食べてドンチャン騒ぎをして、恋愛やファッション話に花を咲かせ、朝まで遊びまくった。勉強なんて一ミリもしなかった。「お葬式の日にこんなことしていいの?」と友だちは心配そうに声をかけてくれたけれど、「ええねんええねん」と私は笑い飛ばした。悪いことをしたとかそういう思いは全くなくて、とにかく楽しい2日間だったという、それだけだった。

 

そこから10数年たち、結婚して、子供も生まれて、自分が親という立場になったとき、ふと祖父のことを思い出すことが時々あった。あんなに可愛がってもらったのに、お葬式にも行かず、ドンチャン騒ぎをして、私はなんと薄情な人間なんだろうと自分の浅はかな行動を後悔することもあった。そうは言いながらも、まああの時は私も若かったし、と自分を正当化して、それでいつも折り合いをつけていた。

 

 

そんなある日のことだった。

 

 

「ほら、おいで」

祖父が私に向かって背中を差し出しおいでと言っている。

おんぶしてくれるんだ、と思っていこうとするのだけれど、祖父は私からは届かない高いところにいてどうしてもたどり着かない。

祖父は目に涙をいっぱい溜めてこっちを見ている。

「なんで来てくれへんかったんや。お葬式。待ってたんやで」

 

その言葉を聞いたとたん、私は申し訳ないやら、恥ずかしいやら、今まで隠していた感情が溢れ出した。

「おじいちゃん、ごめん。ごめんやで。なんで行かんかったんやろ。あんなに可愛がってもらって、大事にしてもらって、いろんなとこ連れて行ってもらって、おんぶもいっぱいしてもらったのに。私はあの日、友だちと騒いでいました。おじいちゃんのことなんか思い出しもせず、友だちと遊び倒してました。ああ、行けばよかった。そんなことせんと行けばよかった。ほんまごめん。ごめんなさい」

 

祖父は高いところから、泣きじゃくる私をずっと見ていたけれど、「おじいちゃんのこと、忘れんとってな」そういって消えていった。

 

夢だった。固まって動けなくなるほどリアルな夢だった。私は寝ながら声を上げて泣いていた。

 

 

私が祖父に最後に出会ったのは、怒鳴り散らした時だった。その時私は気づいていた。祖父はすでに私が誰なのかわからなくなっていたことに。

 

私が怒鳴り散らした本当の理由、今ならわかる。それは祖父がしつこくてうるさかったからではない。私のことが誰だかわからなくなった寂しさをどこにどうぶつけていいのかわからずに、怒鳴り散らすという形で表現するしかなかったのだ。その後出会うことを避けていたのも、あれだけ可愛がってくれていた私のことが、彼の記憶の中にはすでになかったということが、17歳の娘にはどうしても受け入れられなかったのだと思う。

私という存在が消えてしまった祖父に出会う勇気が当時の私にはなかったのだ。

 

私はずっと後悔していた。お葬式に行かずにドンチャン騒ぎをしていたことを。最後に出会ったのが、怒鳴り散らしたときだったということも。心の奥の方ではずっと気にかかっていたのだ。だから祖父は現れてくれたのかもしれない。夢の中ではあったけれど、私は祖父に詫びることができた。祖父に届いたかどうかはわからない。許してくれたかどうかもわからない。けれど夢から覚めて意識が戻ったとき、なにかから解放されたような、すっきりした感覚になっていたのは気のせいだったのだろうか?

 

もしお見舞いに行っていたら、お葬式に出席していたら、私は後悔していなかったのだろうか? と考えたこともある。けれど実際のところはそれもわからない。変わり果てた姿の祖父を目の当たりにして、かえって辛い思い出になっていたかもしれない。

 

結局のところ、どっちが正解かなんて誰にもわからないのだ。間違いなく言えることは、「死んだら二度と会えない」ということだけだ。どんなに泣こうがわめこうが会うことは叶わない。そのことだけは肝に銘じよう。生きている間に伝えたいと思ったことは逃げずにちゃんと伝えよう。もう17歳ではなく酸いも甘いも経験した結構なお年頃になっているのだから。

 

記事:あおい