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まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

私をあなたの妹にしてください

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私は長女だ。

だから、ちゃんとしなくてはいけない。おねえちゃんとして、しっかりしなくちゃいけない。

親にも度々言われてきたし、途中からは自分でも無意識に私はそうあるべきだと思って生きてきた。そのことで生きづらいと思ったこともなかったし、そういうものなのだと思っていた。

 

何かイベントがある、となったら私の出番だ。

企画、計画、準備。得意です! お任せください! いかに合理的にみんなにわかりやすく行うか、どこかに行くなら最短時間、最短距離で。トイレ休憩時間やトイレの位置確認もぬかりなく。こういう情報を調べることも大好きだ。まるでパズルのようだから。実行してみてピタッとハマり、思惑通り進んだときのあの爽快感はたまらない。別のパズルを用意しておくことも忘れない。パズルがひとつだけだと、上手くハマらなかったときにそこから先がグダグダになってしまう。だからパターンを何種類か用意しておく。途中でどんなことになっても、たいていのことは想定済みとして進めることができるのだ。私の計画は素晴らしい! 完璧だ! 自画自賛してニヤッとする。

 

他人の計画で行われるイベントなど、少しでも停滞しているところを見つけると、私だったらこんなふうにはしないのに、などと内心余計な批評をしていた。それどころか、主催が知り合いだった場合など、批評家気取りで「こういうときはこうした方がいいよ」なんて完全に上から目線でアドバイスをすることもあった。どれだけ高慢ちきな女だったのか、今考えるとぞっとする。とにかく私は、自分! 自分! 自分! だったのだ。だから、私よりデキる人が許せなかった。明らかに私より段取り良く物事を進められて、スマートにできる人は全員「敵」だった。そういう人がいると、必死にその人のアラを探した。「そうね、あの人はまぁできる方だと思うけどね、でも惜しいわね、あそこがこうだったら完璧だったのに」なんて、またもや上から目線で。向こうの方がデキる人なのは明白なのに。

 

長女としては負けられなかった。

そんなふうにしっかりと認識していたわけではないけれど、根本にはこの想いがあったと思う。「しっかりしているよね」「おねえさんだからね」こんな言葉が何度も何度も頭の中を巡った。そう、私はしっかりしているの。おねえさんなの。だから、コンプレックスになりそうな私よりデキる人とはなるべく距離を置いて生きてきた。私に頼ってくれる人、私が自分ばかりを主張できる人を無意識に選んで付き合っていたような気がする。高校生のとき、それを如実に表すことを言われたことがある。

 

「Nさんて、あなたの引き立て役だよね」

Nさんというのは、その当時、私が一番仲良くしていた友人だった。あの当時は「え? 何言ってるの? そんな訳ないじゃん」と思っていた。本当にそんな自覚もなかった。けれども、今考えるとそういう側面もあったのかもしれないな……と思う。もちろんそれは、お互いのギブアンドテイクがあってのことなのだけれど。私はいろんな情報を集め、提供し、計画、実行する。Nさんはある意味何もしなくていいのだ。私がお膳立てし、彼女はそれに乗ればいいだけだから。私は万能感を味わうことができ、彼女はラクすることができる、というギブアンドテイク。これは、見方によっては引き立て役……ということになったかもしれない。

 

しかし、メッキはどれだけ頑張ってもメッキだ。見る人が見ればすぐにバレる。逃げても逃げても、私よりデキる人は現れる。そのうち、逃げる自分、アラ探しばかりの自分がほとほと嫌になってきた。何だろう、この独りよがりな自分は。こんなことをしていても、ちっとも楽しくない。自分をよく見てみれば、どれだけ井の中の蛙なのかすぐにわかる。

自分の立ち位置をようやく少し自覚した頃、私はデキる人に聞いてみたことがある。

 

「どうしたら、そんなにデキるようになるのですか?」

 

するとその人は丁寧に教えてくれた。最初からデキる人だった訳ではないこと、くだらないプライドを捨てたこと。そして、自分もかなり努力したこと。

そうなのだ、デキる人だって最初からデキた訳ではないのだ。こんな当たり前のことが私には見えていなかった。求めていたものは「うわべ」だけだったのだ。チヤホヤされたい、みんなからすごいと言われたい。そんなうわべだけ。何のためにデキるようになりたいのか、デキるようになってどう活かしていくのか。そんな大事なことをちっとも考えていなかった。

つまり、長女だから……というのも都合の良い私の言い訳だったのだ。長女だろうが、次女だろうが、デキる人はできるし、努力する人は努力するのだ。

 

最近は人のお膳立てに素直に乗ることができるようになった。私だったら……なんて無粋なことはあまり思わないようにもなった。お膳立てに乗ってラクをさせてもらうことが楽しい。自分では考えつかないようなプランが用意されていることだってある。何より、私は自分がやってきたから、お膳立てをすることの大変さだってわかるのだ。だからこそ、それを思い遣ると感謝しかなくなる。

 

ありがたくお膳立てを頂く。そして私もお膳立てをする。

 

どちらがデキるとか、あそこがマズいなんて、そんなことはどうでもいいのだ。だって、私のためにお膳立てしてくれたのだ。もうそれで充分ではないか。私もお膳立てするときは全力でやる。それだけのことだ。

そうは言っても、長女だからしっかり……という思いが今もないわけではない。そう思ったら、私は敢えてこう思うことにしている。

 

「私をあなたの妹にしてください」

 

そうすれば、すんなりとありがたくお膳立てに乗ることができるから。

私はしっかり者であるべき「おねえちゃん」ではなくなるから。

 

 

 

記事:渋沢まるこ