まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

泣けばいいと思うなよ!

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私は「泣く女」が苦手だ。

 

どんなときでも泣くな! というつもりはない。私だって泣くことがある。私が苦手なのは、泣くことによってパワーバランスが急に変わってしまうことなのだ。

 

大学生のとき、夜中まで男女数人の仲間とバカ話をしていた。

Sってさ、なんか巨乳好きって感じ」とSくんに向かって誰かが言い、他の人も「ああ、わかるわかる」と言い出した。Sくんは「そんなことはない! 俺はそんなに好きじゃない!」と必死に抵抗していた。けれども、夜中のバカ話は盛り上がり、すっかりSくんは巨乳好きだと認定されてしまった。

話の流れで、他の仲間も〇〇は〇〇な感じという勝手なイメージをつけられてゆくこととなり、みんなが好き勝手を言い、勝手に認定されるという、これまたバカなゲームが進んでいた。その中で勝手なイメージをつけられたある女子が「私は違うもん。そんなんじゃないもん!」と言って泣き出したのだ。このことですっかり場の空気は変わり、誰が泣かせたのかという犯人捜しをするような、何だか嫌な空気が流れ始めた。そんな中、その女子は「もう帰る!」と言って帰ってしまった。残った人たちは、全員バツの悪い顔で無口になった。暗黙のうちに「こんな勝手なイメージづけをやってた私たちが悪い。私たちが泣かせたのだ」という残った人たちが悪い、犯人であるという空気が流れた。

しかし、私にはとても違和感があった。いやいや、みんなよく考えてみて! Sくんが巨乳好き認定をされているとき、その女子は大笑いしてお腹を抱えていたではないか。Sくん以外の人が〇〇認定されていたときだってそうだった。みんな何かしら勝手に〇〇認定されたのだ。それが面白いゲームだったのだ。Sくんだって、勝手にそう好きでもない巨乳を大好きだと認定されて、泣きたいような気持ちだったかもしれないではないか。でも、彼は泣かなかった。そして彼女は泣いた。それだけの違いなのだ。それなのに、この残された全員に芽生えた罪悪感は何なのだろうか?

私はムクムクと湧いてきたこの疑問を放っておけず、みんなに言ってみた。みんなも確かにそうかも、と言っておおむね賛同してくれた。だから、明日その女子に会っても普通に接し、謝ったりはしないでおこうということになった。

 

なのに!

ふたを開けてみれば翌日謝っている人がいたのだ。それは全員「男」だった。このとき、私はどれだけ女の涙に男が弱いのか、ということを思い知らされた気がした。どんなときでも、女が泣いたらすべてがストップする。そして、泣かせた(とされる)方が全面的に悪者になる。これは世の中の「公式」なのだ。まぁ、もちろん公式が100%使えるほど世の中甘くはないとは思うけれど、意識的であれ無意識であれ、これを使おうする人は意外といる。

 

以前、仕事で女性の部下がミスをした。私はミスを怒るというよりも、今後そういったミスが起こらないようにするために、彼女がどういう経緯でミスをしたのかが知りたくて聞き取りをしていた。しかし、聞いているうちに彼女は泣き出し「ちょっとすみません」と言ってトイレに駆け込んでいった。彼女は泣き顔を見せたくなくてトイレに駆け込んだのかもしれない。ちゃんと話ができなくなるから、時間を下さいという意味でトイレに駆け込んだのかもしれない。彼女には彼女なりの理由があったのかもしれない。けれども、一人残された私は、周りから見れば明らかに「悪者」だった。部下を泣かせたいじわるな上司、という図ができあがったのだ。彼女がトイレから戻ってくると、他の女子が「大丈夫? どうしたの?」と声をかける。ああ、もう確実に私は悪者認定だ。仮に、泣いた彼女にその気がなかったとしても、状況は私に不利に働いてしまう。かくしてパワーバランスは一転してしまった。私としても、もう泣く前と同じように話はできない。多少腫れ物に触るように話をすることになる。ああ、もう面倒くさい! 泣きたいのは私の方だ。

 

実を言えば、私も上司に問いただされたときに、ああ今泣けばパワーバランスが変わるな、と思った瞬間がある。もうお説教も面倒くさいから泣いちゃおうかな、と思ったこともある。だけど私は泣かなかった。というより、泣けなかったのだ。泣くことで状況を変えるという方法をとる自分というものが許せなかったのだ。私はどこまでクソ真面目なのだろうか。こういうとき、さっさと泣いて場を収め、自分を有利に持って行った方が楽なのに。その方が世の中上手に渡っていけることも多いのに。

 

そうだ、私は実のところ羨ましかったのかもしれない。余計なことを考えずに女優のように涙を流せてしまう女。泣くことであっさりパワーバランスを変えてしまう女。どこかでやってみたいという思いがあったのかもしれない。けれども、できないから羨んでいるだけなのかもしれない。考えてみれば、泣くのは表現方法の一つなのだ。それに対して、対応する側がどう受け止め、どう対処するのかだけなのだ。

泣いている人がいても、ああ泣いているな、とそれだけのことなのだ。怒ったり、笑ったりして表現しているのと変わらない。自分が周りの人にどう思われるのかを気にしているから、泣かれると困ると思っているだけなのだ。もしかしたら、泣ける女の方が神経は図太いのかもしれない。

私は泣かないことを選択しているだけだ。どちらがいいとか、どちらが悪いとかそういうことではないのかもしれない。泣いた方が丸く収まることだってあるだろう。

 

それでも、泣きたいような、でも泣いたら許せなくなりそうな、どっちつかずな自分がいる。

だったら、つべこべ言わずに思い切って一度泣いてみればいいのだ! やってみれば、どういうものなのかがわかるのだから。それなのに、もっともらしい理由をつけて実行できていないだけなのだ。

泣く女は面倒くさいと思っていたけれど、実は面倒くさいのは私の方だった。

ああ、私って本当に面倒くさい! 泣いて済むなら泣いちゃえよ! と、言いたくはないが、言いたくもなる。果たして私が「泣き」でパワーバランスを変える日はやってくるのだろうか。

 

 

記事:渋沢まるこ