人見知りは、かなりの傲慢だった
人見知りは、実は傲慢なのではないかと思う。
今でこそ私の人見知りもだいぶ緩和されてきたけれど、昔は「超」がつくほど人見知りだった。幼い頃、公園で遊んでいる何人かの子どもを見て、仲間に入れて欲しいと思ったけれど、私にできることは遠くから羨ましい顔で眺めることだけだった。心の中では「早く気づいて! 私がここで見ているでしょう? 一緒に遊ぼうと誘って!!」と必死に訴えていた。
その目に見えないアピールが届くこともあるけれど、もちろん届かないことも多かった。「ひとことでいいから! 一緒にやる? と言ってくれるだけでいいから! そうしたら、すぐにそこに入るから!」頭の中ではこんなセリフが次から次へとあふれ出ていた。そんなに遊びたいなら自分から言えばいいのに、と今なら思う。けれども、あの頃はどんなに心の中で叫んでいても、行動に移すことはできなかった。
今でもたまに小さい子どもが、あの頃の私と同じように羨ましい顔で見ている姿を発見することがある。それはとても微笑ましく見える。
私は「人見知りというのは奥ゆかしさでもある」と考えていたところもある。出しゃばりたくても、出しゃばれない、出しゃばらない。周りの空気をしっかりと読み取って、みんなが気を悪くしない程度に少しずつ自分の要求も出してみる。そんな奥ゆかしさを持っている人が人見知りなのだ。そう考えていた。
私が行くことにした高校はとても田舎の高校だった。もちろん受験はあるのだけれど、ほとんどの生徒が幼稚園、小学生の時から一緒というような高校だった。その中に、誰も知り合いがいない私が入学したのだ。完全にアウェイな場所に入っていくことになる。私はまたここでも心のアピールをした。「誰か話しかけてよ! 私には誰も知り合いがいないのよ!」程なくして、そのアピールを感じ取ったのか、一人の子が話しかけて来てくれた。
「一緒にお昼食べない?」
それからようやく少しずつ高校生活に慣れて行ったのだった。
人見知り……と言っても、程度の差が結構あるのかもしれない。ということを知ったのはかなり大人になってからだ。どう見てもあなたは人見知りではないよね? と思う人が「私も人見知りだよ」と言うのだ。いやいやいや、そんなわけないから! と否定してみたけれど、それは私が思うことなのであって、その人自身は人見知りだと感じているのだ。誰が何と言おうと、本人がそう感じていれば、それはもうきっと人見知りなのだろう。
人見知り……と一口に言っても、軽度から重度まできっと様々な人見知りがいるのだと思う。だから、私だって他人から見れば到底人見知りだとは思えない! と言われることだってありうるのだ。
私は大人になるにつれ、沢山の人に会うにつれ、人見知りが少しずつ解消されていった。
知らない人にこちらから話しかけるなんてことは、昔は全く考えられなかったけれど、随分とできるようにもなった。そうなってくると、ある日私は冒頭のことを思ったのだった。
人見知りは、実は傲慢なのではないか?
奥ゆかしいなんて言って美化していたけれど、結局のところ完全な受け身だった。自分は声掛けなどしないまま待っているだけで、相手にどうにかして欲しいと思っていたのだ。
みんな最初はどんな形であれ、たいていは緊張するものだ。声掛けしてみて、素っ気なく返されたらどうしよう、断られたらいやだな、嫌われたらいやだしな……と思うのだ。けれども、第一声を掛けるということは、その壁を乗り越えるということなのだ。人によってその壁の高低はあるかもしれないけれど。私は、人見知りだから……という言い訳を使って、無言で相手に圧力をかけていたことになる。あなたが動きなさいよ! 私は人見知りなの、だから私はこのまま待ってるから。声掛けしてくれたら、ちゃんと答えるから。
無意識であったとはいえ、自分は全く動かず、相手に動いてほしいと思っているということは、やはり傲慢だったのではないだろうか? 私は、自分だけが人見知りで、相手はそうではないと「勝手に」思っていただけだ。壁を乗り越えてゆく勇気がなかった。壁を乗り越えて、万が一断れたら、私は傷ついてしまう。だから傷つきたくなかったのだ。傷つくリスクを自分は負わず、相手に負わそうとしていたのだ。これが私の人見知りの正体だった。
私は自分の人見知りの正体を知って、ようやく少し大人になれたのかもしれない。リスクを自分でとるということもようやくできるようになった。私は「人見知り」という自分に都合のよい言い訳をつかって、いままでどれだけの人に甘えてきたのだろうか。どれだけの人に無言の圧力をかけてきたのだろうか。それでも、リスクを冒して、壁を越えて来てくれた人たちには感謝しかない。本当にありがたい。いい歳してやっと気づいたなんて恥ずかしいけれど。その上で私はこう思うのだ。
待ってて! 今度は私がリスクを冒して、壁を越えてゆくから!
記事:渋沢まるこ