それは、ある日突然に
携帯電話には、かなりの着信履歴が残っていた。それは、夫からのものだった。
平日の昼間、仕事をしているはずなのに、お昼休みの時間でもないのに、この履歴の量は尋常ではない。何かあったのだろうか? 私はすぐに折り返した。
「何かあったの?」
「死んだ。お母さんが……」
と夫は言った。私は
「ふざけたこと言わないで。本当は何なの?」
と言いかけたけれど、やめた。でも、ありえないから。にわかには信じられなかった。
自分も歳を重ねてくると、親の死がチラチラと頭の中をよぎることがある。
うちの両親は、というよりも、うちの家族は全員が弱い家だった。全員が何かしら病院にお世話になることが多かった。通院だけでなく、入院もたびたびあった。私も幼い頃からよく病院に連れて行かれものだ。今考えてみると、両親は、特に母は病院が好きだったのだろうと思う。好き、もしくは安心や落ち着きを覚えていたのではないかなと感じることがある。だからなのか、今も病院と施設を行ったり来たりしている。
それに対し、夫の家族は病院などほとんど行かない様子だった。むしろ、病院は嫌いといった感じがした。以前夫が入院することになり、彼が準備した荷物の中を覗いて驚いた。そこには、CDや本などがぎっしりと詰め込まれてあったからだ。彼の中では暇な入院生活をどうやり過ごすか? といったことしか頭になく、着替えが必要だなんていうことは考えられなかったようだった。私は入院するならこれと、あれと……といった感じで必要なものがすぐに思い浮かぶということがすでに体に染みついており、そんな自分に苦笑いしたものだ。
そんなわけで、親の死を考えるときはいつもウチが先だと思っていた。入退院を繰り返す親といつも元気な親。違いは明らかだったから。
なのに、夫の母が亡くなるなんて、夫がふざけているとしか思えなかった。しかし、電話口の声を聴いていると、これはおふざけではない、現実なのだとわかった。
どんな状態で、どんなふうに亡くなったのか? それで、私はどうしたらいいのか? 夫に聞いてみても釈然としない。夫も実家から電話があっただけで、全容を把握しているわけではなかったのだ。突然自宅で亡くなったので、これから警察も来るという。ざわざわとした心持ちのまま、私は携帯を握りしめてその場に佇むしかなかった。
お義母さんは文字通り、義理の母だ。夫の母、お姑さん。世間的には嫁姑問題といわれるくらい、仲が悪くて当たり前みたいに言われるが、私はお義母さんから何か嫌なことを言われたという記憶が全くない。もし同居でもしていたら、もっといろいろバトルなどがあったのかもしれないけれど、家も電車で2時間くらいかかるところにあったし、会うのはお盆とお正月くらいで、その他の接点はあまりなかった。だからお義母さんと腹を割って話したと感じたことはないけれど、私にとってはとてもいいお義母さんだった。
会えば「ウチのバカ息子は返品がききませんからね」とか「うちの子、ちゃんと家事してる?」とか私を気遣うようなことばかり言ってくれた。もしかしたら、いや、もしかしなくても、心の中では私のことで気に入らないことが沢山あったと思う。でも、そんなことは微塵も感じさせないお義母さんだった。それは、実の子どもである夫に対してもそうだったようだ。「あれはするな」「これはするな」と言われたことはあまりないらしい。息子のことが可愛かっただろうに、いや、可愛かったからなのか、私が知る限りでもほとんど干渉しないお義母さんだった。それでも、たまに息子の好物を送ってくれたり、近所の野良猫に息子の名前をつけたりしていて、本当は息子が大好きなのだろうなと感じていた。夫は親戚の人にも「あんたのお母さんは、息子がなかなか帰ってこないから、とうとう野良猫にあんたの名前をつけたのよ」と言われていた。
亡くなったあと、もっと実家に帰っていれば……、もっと話を聞いてあげればよかった……、などと夫は後悔していた。私は、だから何度も言ったじゃん! と思ったけれど、さすがに口に出しては言えなかった。きっとこれが、よく言われる親孝行したいときには親はなしということなのだろうと思ったから。
お義母さんは、その日の朝、洗濯を干していたそうだ。
そのあと、何だか調子が悪いから横になると言って布団に横になり、お昼にお義父さんが様子を見に行くと冷たくなっていたそうだ。
本当にあっけない亡くなり方だった。長らく病院に入院していた、というようなことがあれば、こちらも心の準備ができる。しかし、朝洗濯物を干していた人がお昼には亡くなっているなんて、ありうることだけれど、なかなか想像しがたい。
お義母さんの命日が近いからなのか、何だかこんな話を書いてしまった。
月並みな言葉だけれど、やっぱり会いたい人には会っておこう。照れとか恥ずかしさなんて取り払って、言いたいことも言っておこう。やりたいことは全部やっておこう。この話を書きながら、改めてしみじみとそう思った。
記事:渋沢まるこ