まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

あなたの意に沿わないかもしれないけれど

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私は「ありがとう」が言えない。正確にいうと言えなかった。

 

私は落し物を拾ってくれた人がいれば「ありがとうございます」と言うし、友達と会って楽しい時間を過ごしたあとには「今日は会えて嬉しかった! ありがとう!」と言ったりもする。一日に何度も「ありがとう」という言葉を発し、つかっている。だから「ありがとう」の五文字が発音できないという訳ではないのだ。なのに、アノ人だけには言えなかった。

 

ある時、言った方がいいよと勧める人がいた。けれども、私はアノ人が嫌いで恨みの気持ちすら持っていたのでそれは無理だと言った。すると、勧めてきた人は「面と向かってではなくてもいいから」と言うではないか。それならば簡単だ! と思った私はその日の夜にお風呂に浸かりながら言ってみることにした。

「○○さん、あり……」

あれ? 言えない。カラダが言うことを拒否している。いやいや、ここにアノ人はいないから。妄想だから。言ってみるくらいできるから! と思ってみるのだが、口が開かない。言いたくない。こんなに私自身が拒否するなんて思ってもみなかった。

なぜ? どうして? 私はそこまで恨んでいるのか? わからないまま、結局その日は言うことを断念したのだった。

 

それからしばらくして、アノ人が入院したという連絡が来た。私は複雑な気持ちだったが、とりあえず病院に向かうことにした。

病室では中にいる人たちとたわいもない会話をしたが、さして盛り上がることもなく、そろそろネタも尽きてきていた。すると、アノ人が「あなた、もうすぐお誕生日じゃなかった?」と言った。

そのときだ。私はまるで神の啓示でも受けたかのように、ここだ! 今だ! いま! と思った。

そしておそるおそる口を開いて言った。

「そう、もうすぐ誕生日よ。なんだかんだとこの歳になるまで生きて来れたわ。ありがたいことよねぇ。産んでくれてありがとう」

ああ、とうとう私は言った! あんなにカラダが拒否していたこの言葉。サラっとこんなところで口から出てくるなんて! 

 

「産んでくれてありがとう」

この言葉は、言えば母が喜ぶのだろうと思っていた。親孝行のために言わねばならない言葉なのだと思っていた。しかし、現実は違っていた。言った途端、私は自分がとてもいとおしく思えてきた。こんな場所で、お風呂で練習してもできなかったのに、ベストなタイミングでサラっと言ってしまうなんて! 私は自分を抱きしめて「あなたはよく言った! 頑張った! 素晴らしい!」とほめてあげたくなった。そしてこのあと、私は人知れず号泣した。それは、自分が達成したことの重みを思ってのことだった。

 

肝心の母は……というと、特にその言葉に感動した風でもなかったし、未だにこのことについて触れてきたこともない。もしかしたら、聞き逃していたのかもしれない。けれども、そんなことはどうでもいいのだ。私にとって重要なことは母が生きているうちにこの言葉を言うことだったのだ。私自身の卒業のために。

それは言ってみて初めて分かったことだ。相手のために少々無理してでも言わなくてはならないと思っていた言葉なのに、言ってみたらそれはすべて自分のためだったということに気がついた。

私はそれまで、結局すべてを自分の思い通りにしたかっただけなのだ。私の言うことを聞いてほしい! 私のことをかまってほしい! 私を認めて! お母さん、私はここにいるの! まるで駄々をこねる子どものように。

 

母が「いい母親」だったのかどうかはわからない。正直、母と娘の関係は良いものではなかったし、今でも母が私にしてきたことについて疑問を感じることもある。けれども、それはもう過去のことだ。今は私も「大人」になり、もう母の庇護のもとで暮らしているわけではない。母のことを嫌いだ! と思っていたのは、私がまだまだ子どもだったということなのだ。だからこの歳になっても、何かと理由をつけてああいうところが嫌い! こういうところが嫌い! などと思っていたのだ。

 

私が本当に嫌っていたのは「大人になりきれていない自分自身」だった。

母のことを嫌っていればいつまでも子ども気分でいたい自分を正当化し、子どもの自分と向き合うことから逃げることができたのだ。

私は「産んでくれてありがとう」を言ったあの日に、ようやく子どもを卒業したのだと思う。

あれから母を恨むような気持ちは徐々に消失していき、今ではほとんどなくなった。今はお風呂の中で「お母さん、ありがとう」だって言える。

 

母も人間だ。自分の思い通りにしたいこともあるだろう。八つ当たりしたい日もあっただろう。見栄を張ったり、自慢話をしたいときもあっただろう。

なのに私は、母に、親に、完璧を求めていたのだ。子どもである私をちゃんと守って! 優しく話を聞いて! ちゃんと褒めて! 私をいい子だと言って! 私をまるごと受けとめて! 親なんだからできるでしょう? やるのはあたりまえでしょう? と。

私は今になってようやく母を一人の人間として見ることができるようになってきた。彼女は彼女がベストだと思った方法で、彼女なりの愛し方で子どもを育ててきたのだ。それは私の意に沿うような方法ではなかったかもしれないけれど。

 

お母さん、産んでくれてありがとう。

私はやっと大人になりました。だから自分の人生に責任を持ちます。

私は私がベストだと思う方法で、私なりの愛し方で私の人生を歩んで行きます。それはもしかするとあなたの意に沿わない方法かもしれないけれど。

 

記事:渋沢 まるこ