まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

正しいクリスマスの過ごし方

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その日は、朝から吐く息が真っ白になるほど寒い日だった。夜は雪になると天気予報で言っていた。

私はかじかむ手をこすり、眠い目をこすりながら会社へ向かった。今日はクリスマス!

何だか社内も朝から浮かれた人が多いような気がする。昨日は下準備をするのが大変だった。けれども、今日のことを考えながらする準備は楽しかった。こうしたら、こうなるかも。こう言ったら、こう返ってくるのかも。お料理はこの順番で。だから冷蔵庫に入れておくのはこの順番で。狭い冷蔵庫だから、入れる順番や場所を確保するのに試行錯誤が必要だった。ケーキは場所をとるし、シャンパンも思いのほか高さがあってドアポケットには入らなかった。ローストビーフはできればあまり冷やしすぎたくない。ああ、冷蔵庫の中も生活を感じさせないクリスマス一色にできればいいのに。焼肉のタレだとかポン酢だとか、輪ゴムで止めてある塩こんぶだなんて生活感がありすぎる……。けれども、パズルをひとつひとつはめていくようなこの作業にもワクワクしていた。部屋は飾りつけすぎず、でも、クリスマスだとわかるように。小さくて上品な卓上クリスマスツリーひとつを置いてみた。あとは、あたたかな色の照明で。間接照明がいいのかも。色々なことを脳内で想定しながら、もう前日が当日かのように楽しかった。結局、ああでもないこうでもないと妄想を巡らせて部屋の中を歩き回っていたら、寝る時間が遅くなってしまったのだった。だから、朝からあくびを連発していたし、頭の中は今日の夜のことでいっぱい。仕事なんて全く手についてない状態だった。

 

そして、迎えた夜。

私は何度も何度も脳内でシミュレーションしたことを行動に移した。冷蔵庫からはシャンパンを取り出し、コルク栓が飛ばないように注意深く開けた。そして、この日のために用意した高いシャンパングラスに注ぐ。二人とも笑顔で乾杯。何もかも想定通り。そう、こういうの。この感じ。ああ、クリスマスって最高!

 

ああ、何だか安っぽいドラマのようだ。

けれども、きっと素敵な彼とこんなクリスマスを迎える日が来るに違いない、と若かりし日の私は思っていた。まぁ、そこそこの彼とこれに近いような安っぽいクリスマスを過ごしたことがないとは言わない。しかし、あんなに妄想していたというのに、そんなクリスマスのことはちっとも記憶に残っていないというのが正直なところだ。

ならば、記憶に残っているクリスマスとはどんなものなのだろうか?

 

クリスマス当日に、ここなら入れるだろうと思って行った学生街にある安いイタリアンに入ったら「予約はされていますか?」と聞かれて驚いた。クリスマスというのは、こんな安いイタリアン(失礼…)であっても予約が必要になるのだ。そうか、学生であまりお金がなくても、気分は味わいたいものね。とか言いながら、自分たちも同じ発想だということに苦笑いした。その頃はもはや学生でもなかったというのに。

 

また、ある時からは敢えて「平常運転」をするようになった。街が騒がしく、色々なものがクリスマス物価になるこのときに、わざわざ自分達まで合わせる必要を感じなくなってしまったからだ。クリスマスであっても、家に帰ればいつもと変わらない日常が待っている。いつもと変わり映えしないご飯を食べ、テレビを見て、お風呂に入り寝る。人によっては味気ないクリスマスだね、と言うかもしれない。けれども、私はこの「平常運転」のクリスマスの方が記憶に残っていたりする。クリスマスに何をするかということは、私とってさして重要ではなかったのだろう。大切なのは「誰と」過ごすかということだった。彼でも、友達でも、家族でも、もっと言えば自分と、つまり一人でもいい。とにかく、安心できる場で心許せる人(自分)と一緒にその日過ごせることを楽しみたい。これが私の望むクリスマスの過ごし方だ。

誰と過ごすかが大事だなんて、誰でもそうだよ! と言われるかもしれない。けれども、果たして本当にそうだろうか? 以前、私はクリスマスのための「彼」、クリスマスのための「場所」、クリスマスのための「プレゼント」が必要だとどこかで思っていた。それは結局のところ、自信のなさの表れだったように思う。私は一人だと自信がないんです。だから、自信をつけるために「誰か」や「場所」や「プレゼント」が必要なのです。誰かといてもらえる私、素敵な場所に行ける私、プレゼントをもらえる私。だれか、どこか、何かがなければ私なんて価値がない。そんなふうに思っていたのかもしれない。私は別にクリスマスを、プレゼントを否定しているわけではない。ただ、「誰か」や「場所」や「プレゼント」がなければいられなかった自分のクリスマスを振り返っているだけだ。私だってプレゼントが大好きだし、素敵な場所にも行きたい。でもそれは、クリスマスでなくてもいい。明日でもいいし、3日後でもいい。自分が思った日に、行きたい日に、あげたい日にできればいい。毎日クリスマスでもいいし、そうでなくてもいい。私のクリスマスは12月25日ではなく、自由設定なのだ。

つまり、私の正しいクリスマスの過ごし方は「毎日を思いのままに過ごすこと」なのだ。

なんだかわかるような、わからないような説明だけれど、私の中では今これがフィットしている。

 

 

記事:渋沢まるこ