まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

世の中を動かしているのは、国会議員でも官僚でもなく専業主婦だった。

 

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専業主婦になりたかったんです。

 

 

最近立て続けに、専業主婦願望だったという人に出会った。願望だったということはそうではなかったということで、実際彼女たちは、勤続30年のキャリアウーマンだったり、自営業者の方であったりするのだけれど、専業主婦経験のある私としては、何をそんなに憧れるのか不思議で仕方がなかった。

 

というのも、私自身、決して専業主婦になりたくてなったわけではなく、行きがかり上仕方なくというのがホントのトコロだからである。

 

ちょうど私が就職した年、1987年は男女雇用機会均等法が始まった年だった。それまでの主流であった結婚して家庭に入って専業主婦になる、という時代から、女性でも男性と同じように働きたいと思う人が増えてきて、結婚して子供が生まれても会社をやめずにキャリアを持ち続けたいという願望を持つようになった頃。私も例に漏れずその一人であった。

 

そんな中、28歳で結婚して、29歳で第一子を出産。

幸いにも私が勤めていた会社は、当時まだ珍しかった育児休暇制度をいち早く導入していた。一年間の休職の後、会社に復帰する予定で手続きを進めていた頃、思いもよらない夫の転勤命令。私が復職して仕事を続けるためには、新婚早々の別居生活を余儀なくされる。

 

子どもは一人で育てなければならない。どうするべきか? 子供が病気になったら? 誰にみてもらう? そんな状態で仕事に専念できるのか? 散々迷った挙句、泣く泣く会社をやめて、夫の転勤についていくことに決めたのだった。これが私の専業主婦の始まりだった。

 

その選択は、ある意味正解だった。なぜならその後3年の間に、立て続けに第二子、第三子を出産することになったからだ。

 

ところがそのとき私はまだ気づいていなかった。専業主婦という看板が、のちのち私に重くのしかかってくるということを。

 

夫はそのころ転職したばかりだった。新しい職場で慣れないことばかり、成績も思うように上がらない、休みも取れない。そんな状況の夫に子育てを手伝ってもらうわけにはいかない。だって私は専業主婦なんだから。育児ぐらい完璧にやらなくてどうするの? 

 

私は「3人の子育てを一手に引き受けます。あなたは仕事に専念してください」と自ら夫に宣言した。

 

それから子育てに奔走する日々が始まった。

4歳、2歳、0歳の子供を今となってはどうやって育てたのか、そのへんの記憶がぽっかりと抜け落ちてしまっている。

 

たとえば買い物ひとつとっても、0歳児はだっこひも、2歳児はベビーカー、4歳児は手をつないで歩く、この状態でスーパーにたどり着いたとしても、どうやって買い物かごを持って買い物をしていたのか、全くの謎である。

 

子育てを「大変だった」という一言では済ましてしまいたくないのだけれど、具体的になにが大変だったかというとあまり思い出せないのが事実なのだ。

 

 

ただひとつ、これだけは忘れられないということがある。

夏のある日のことだった。子供たちを連れて車でスーパーに行ったとき、0歳児と2歳児が車の中で寝てしまった。

正直、3人の子供を連れて買い物に行くのは至難の業だった。その上、今たたき起こして連れて行っても、きっと機嫌が悪くて、いつも以上にややこしくなることは目に見えている。 

二人が寝ているスキに、4歳の長女だけ連れて、ぱぱっと買い物してくればたぶん10分もあれば戻って来れる。それくらいならきっと大丈夫だろう。そう思った私は、眠っている2人を車に置いたまま、長女だけを連れて買い物に行くことに決めた。

さすがに締め切ったままでは暑いので、運転席とその反対側の窓を5センチほど開けて行くことにした。

 

長女を連れて、走ってスーパーに行った。あらかじめ決めておいた必要なものだけをピックアップして、レジに並ぶ。買い物を受け取り、手早く袋に詰めてスーパーをでた。10分より少しオーバーしてしまったけれど、まあ大丈夫だろう。 

あわててエレベーターから降り、車の近くまできたとき、私は思いがけない光景に目が点になってしまった。見知らぬおばさんが、うちの0歳児を抱っこしているではないか。

え? 人さらい? なわけないよな。

事態が全くのみこめない。 

 

あわてて走っていくと、そのおばさんはこういった。

「こんな暑い日に、子供おいて何してるの!! この子らものすごい汗かいて、大泣きしてたんよ!私が通りかかったからよかったけど、もし誰も気づかなかったら、どうなってたかわからんよ!」

 

おばさんがたまたま通りかかったとき、子供たちが目を覚まして泣いていたのだ。親切なおばさんは、少しだけ開けてあった窓の隙間から手を突っ込んで鍵を開け、チャイルドシートに固定されていた0歳児をだっこし、2歳児の手を握って、二人の子供をあやしてくれていたのだった。 

私はそのおばさんに向かって「すみません、ほんとにすみません」と平謝りに謝り、「ほんとに、ほんとにありがとうございました」と何度もお礼を言って、2歳の次女と0歳の長男を受け取った。

 

 

  

 

 私だって初めから長い時間放っておくつもりなんかなかったわ。

 

 3人の小さい子供たちを連れて買い物することがどんなに大変か、あんたは知ってるのか。

  

 助けてくれたはずのおばさんに、なぜか怒りの感情が湧いてくる。

 

 

 

がそれと同時に涙が溢れてきた。

事の重大さにやっと気づいたからだ。

 

  

もし誰も気づいてくれなかったら、熱中症になっていたかもしれない。最悪は命を落としていたかもしれない。気づいてくれた人が親切な人だったからよかったけれど、手が入るぐらい窓を開けて行くなんて、もしかしたら誘拐されていたかもしれない。

 

  ちょっとだけ

ほんの10分だけ

その気の緩みが、命取りになる……

 

大きな大きな恐怖感と同時に

それを上回るぐらいの罪悪感が襲ってきた。

 

 

ごめんね、ごめん、

ほんまにごめん、ごめんなさい

もう二度としないから。

もう二度とどんなことがあっても置いていかないから。

わたしは子供たちを抱きしめて泣いた。

 

 

  

 

専業主婦なんだから、子育てぐらいは完璧にやらなきゃ。そう思っているのに、子育てすら完璧にできない自分が情けなかった。

 

 

 

 

そう私は 

一円の稼ぎもない専業主婦。 

社会でも役に立たず

家庭でも過ちを犯す。

 

 

 

自己肯定感のかけらもない

なんの取り柄もない

それが専業主婦の私なんだ。

 

 

 

 

このままでは自分がダメになる。

そう思った私は、仕事をすることにした。

 

 

 とはいっても、3人の子供を預けられるかどうかもわからない。預けられたとしても、雇ってくれるところがあるかどうかもわからない。

 

それでもなんでもいいから仕事がしたかった。

 

いや、仕事がしたかったわけではない。一円の稼ぎもない専業主婦という肩書きから脱出したかっただけだった。

 

 

 

 子供を保育園に預けて、営業の仕事をし始めた。

仕事は楽しかった。

その間は子供のためではなく私のために時間を使うことができたし、ほんの少しでも自分で稼いでいるという感覚があった。

 

何よりも専業主婦という肩書きから脱出できたという喜び、私にもできることがある、私も社会とつながっているんだ、という感覚はなにものにも変えがたいものだった。

 

 

 それから6年後、次男を出産し、少しの間専業主婦に戻った時期はあったものの、なんだかんだと今まで仕事を続けてきた。

 

当時0歳だった長男は、もうすぐ20歳になる。 

今ふりかえってみると、専業主婦だった期間は、思ったほど長くはなかった。なのになぜあんなに苦しかったのだろうか?

  

 

 

それは

専業主婦=主婦しかできない人

 

つまり

能力がない

仕事ができない

一円も稼げない

社会貢献できてない

という公式を頭の中で勝手に作っていたからだった。

 

 

 

 

誰が言ったか知らないけれど、3食昼寝付き、そんな専業主婦に私は出会ったことがない。専業主婦ってそんなに甘ったるいもんじゃない。

 

 社会的に役に立っていないのだから

せめて主婦業ぐらいは

せめて子育てぐらいは

せめて親の面倒ぐらいは

そうやってせめて、せめて、と自分をせめたてて、どんどん自分を追い詰めてしまう。

  

今の若い人はわからないけれど、私たちの世代の専業主婦にはそんな方が多いのではないだろうかと思う。

 

 果たして専業主婦に能力がないのだろうか?

実は今こんなふうに思っている。

 

私が今仕事ができているのは、もしかしたら専業主婦時代に養った能力が大きいのではないかと。

 

 

専業主婦の仕事量は半端ない。

たとえば子育てひとつとってみても、365日24時間、いつでも出動できる体制をとっておかなければならない。

その上、私の思いどおりになることは何一つない。子供はいつ腹が減るかわからない、いつ泣くかわからない、いつ寝るかわからない、いつ病気になるかわからない。

要は、いつ何が起こるかわからないし、いつ何を言い出すかわからないという不確定要素だらけの中で、こなさなければならない掃除、洗濯、買い物、料理、後片付け、等のルーチンワークは山のようにある。

 

無計画に一日過ごしていると、ルーチンワークが何もできていない、という状況に陥ってしまう。突発的な出来事を想定しながらも、ルーチンワークは確実にこなす、ということを日々こなしていくのだ。

 

家事も育児も、何一つ翌日回しにはできない。一日のスケジュールを頭の中にイメージし、どの順番でどうこなしていけば一番効率的かを考えつつ、そこに突発的要素が入っても対応できるような柔軟性も同時に持っておく。

 

子供の成長とともに、事態はどんどん変化していくから、常にプログラムを更新し続けなければならない。なおかつ、ミスも許されない。こんな重大かつ壮大なプロジェクトを、世の専業主婦たちは、パソコンの一台も使わずに自分の頭の中だけで処理し、黙々とこなしているにも関わらず、過去の私のように、私にはなんの取り柄もない、と思っているとしたら、それは大きな誤解だ。

 

なぜなら、

家事は社会貢献している夫を支える最も大切な仕事だから。

子育ては、これから社会に貢献する人材を育てる最も大切な仕事だから。

 

もしかしたら、世の中を動かしているのは、国会議員でも官僚でもなく、専業主婦なのではないかと思っているのだけれどどうだろう? 大げさだろうか?

 

記事:あおい