まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

その話何回も聞いたと思った時の大人の対応

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「その話、何回も聞いたわ」

90歳母に対して、最近この言葉を発することが多くなった。

 

これはお年寄りに言ってはいけない言葉だそうである。

前にも聞いた、昨日も聞いた、と言われることが大きくプライドを傷つけるらしい。

 

とはいえ、こっちにだって言い分はある。

一回目、ふんふんと普通に聞く。

2回目、昨日も聞いたよな、と思いながらはいはい、と聞く。

3回目、それさっきも聞いたよな、と思いながら黙って聞く。

4回目、いやもういい加減にしてくれよ。

その結果、「その話、何回も聞いたわ」となっているわけで、

こっちだって1回2回はスルーした上での一言、

これ以上聞かされるのはたまらん、どうかこれで終わりにしてくれ、

という懇願に近い一言なのである。

 

ところが、当の本人はそんなことは全く知らない。

毎回始めて話す調子で話しているから、思いもよらぬ私の言葉に

ものすごい機嫌が悪くなる。

挙句の果てには「黙って聞いてくれたらいいのに」と逆ギレされる。

そして、「あんたもこの年になったら私の気持ちがわかるわ!」

ととどめの一言。

確かに、そりゃそうかも知れない。でも今言われてもどうしようもない。

 

残念ながら、同じ話を4回もだまってはいはい、と聞けるほど

私は寛容にはなれない。

 

いや、百歩譲ってその話が嬉しい楽しい幸せになるような話なら、

黙って聞こうじゃないか。

 

ところがだいだいは、テレビや週刊誌から仕入れた芸能人の

ホントかウソかわからないような情報だったり、

近所の○○さんのうわさばなしだったり、

 そんなことどうでもいいねん、興味ないねん、 っていう話、

それを4回もきいた日には、心が狭いと言われようが、大人げないと

言われようが、年寄りのプライドが傷つくと言われようが、

 「その話、何回も聞きました」といって止めなければ

こっちがやられてしまいそうになるのだ。

 

 

 

ところが先日

ものすごいショックなことが起こった。

  

久しぶりに帰ってきた長男と何か会話していたとき、

彼にこう言われてしまったのである。

 

「その話、何回も聞いた」

 

ぎょぎょ。

 衝撃だった。何回も聞いたって? うそ? 私には話した記憶がない。

 

「ええ、マジで? 話したっけ?」

 「もう5回ぐらい聞いた」

 

げげげ。

 

おいおい、長男よ、

いくらなんでも5回は言いすぎやろ。

  

さすがに5回はおおげさやったと長男も認めたけれど、 

でも3回は聞いたで、という。

本当に記憶がなかった。

 

そう言われてみれば、一回ぐらいは話したかもしれない。

でも全く覚えていない。始めて話したつもりだった。

 

そこでものすごい不愉快になっている自分がいた。

「黙って聞いてくれたらいいのに」

長男に対して、そう思っている自分がいる。

 

ああ!! なんということだろう!

母と全く同じ反応をしているではないか!! 

   

ああ、いやだいやだ。

同じ話をしてしまったことも嫌だし、

それを覚えていないことも嫌だし、

それを指摘されたことも嫌だ!!

 

自分が母に言っているそのまま、息子に言われた時の情けなさ。

そしてやり場のない怒り。もう穴があったら隠れていたかった。

 

 

 

そんな一連の話をある2人の友人に話したら、

なんと彼女たちはこんなことを言うではないか。 

 

「私、同じ話、何回でも聞けるで」

「私も」

 

ぎょぎょ。マジですか?

 

「なんで? イラっとせーへんの? なんでなん?」

と私が尋ねると、一人はこういった。

 

「うちのおばあちゃんなんて、聞くたびに話の内容がどんどん脚色されてくるから

おもしろいよ。次はどんなふうに変わるんかなあ、って思いながら聞いてる」

 

ほほっー。なるほど。目からウロコ。そんな聞き方があったのか。

そうやって聞くと、確かに面白いかもしれない。

 

さらにもうひとりの友人はこう言った。

「同じこと何度も聞くってことはさ、それ、私へのメッセージやと思うねん」

 

え? どういうこと?

 

「だからさ、同じこと何回も聞かされるってことはさ、その言葉が

私に必要ってことやん。その言葉から何かに気づけよ、ってことやと思うねん」

 

ほほっーー。ますます目からウロコ。

 その言葉が自分の耳に入ってくるということは、自分に必要だから、

だという視点。

なるほど、それが自分に必要だと思えば、苦痛ではないかもしれない。

 

同じ話を聞くことが、ただただ、しつこい、うるさい、めんどくさい、

と思っていた私。

それは自分が聞きたくないのに聞かされている、迷惑被っている、

と思って聞いていたからだった。

 

ところが、彼女たちの視点はそうではなかった。

2人に共通しているのは、この状況を楽しんでいることだ!

普通なら苦痛でしかないと思われるこの状況を、視点を変えることで、楽しむこと

に変えている。

 

なんということだ。視点を変えるだけで、苦痛でしかなかった母親のぼやきが、

映画のストーリーに、神様のお告げに、変わっていくのだ。

 

 もうこれは楽しむしかない。

 

よくよく考えてみれば、 「その話何回も聞いた」と言う立場でもあり、言われる

立場でもあるというのは、今の私しかない。

母は言われても言うことはないだろうし

息子は言っても言われることはないだろう。

両方の気持ちがわかるなんて、すごい! 私だけの特権じゃないか。

これを楽しまずしてどうする?

 

そう考えると、なんだか同じ話を聞くのが、ちょっとだけ楽しみになってきた。

だって、 今度母が同じ話をしてきたら、神様のお告げきたーー、と思えばいい。

 あるいは、映画監督にでもなったつもりで、脚色の度合いを確認するのも

おもしろいかもしれない。

 

そして、息子に「その話聞いた」と言われたら

 「ふふふ。それはな、神のお告げ。君へのメッセージや」といってやろうかな。

ほんとうに頭やられたと思われるかもしれないけれど。

 

 記事:あおい