水色のクレヨンが私に教えてくれたのは、素直になるということだった。
「はーい、みんな、今からお絵描きの時間ですよ。クレヨンを出してくださーい」
先生の声掛けに、園児たちはそれぞれのお道具箱からクレヨンを取りだした。
画用紙がくばられ、園児たちは思い思いの場所で絵を書き始める。
雲一つない晴れ渡った秋の空。気持ちの良い風が吹いている。
4月から幼稚園に通い始めた私には、お気に入りの場所があった。教室をでたところの下駄箱のあたり、すのこがひいてあるところだ。そこは上履きに履き替えるための場所だったのだけれど、私はそのすのこの上に座るのが大好きだった。そこに座ると園庭がよく見える。ぞうさんの形をした滑り台や、地球儀のようなジャングルジム、カラフルな色に塗られたブランコ、そして見上げると青い空が広がっている。私はそこで絵を書くのが好きだった。
その日もいつものように、すのこの上に座って絵を書いていた。
今日はぞうさんの滑り台と砂場を書こう。
最初は滑り台。輪郭を書く。ちょっと鼻の形が変になったけどまあいいや。
滑り台の色は黄色。丁寧に塗っていく。
次は砂場。砂場はねずみ色。砂場で使うスコップやバケツも書いておこう。
そして最後に空。今日の空は水色。そう思いながら、水色のクレヨンを手にとったとき
のことだった。
コロコロコロ……
あっ……
つかむ間もなく、水色のクレヨンはすのこの上をころがり、あっという間にすのこの隙間から下に落ちてしまった。
手を伸ばして取ろうとしてみたけれど、すのこの隙間には手が入りそうで入らない。
どうしよう……
ショックだった。まさか落としてしまうなんて。
先生に言おうか?
でも恥ずかしい。いや、怒られるかもしれない。
どうしよう……私は泣きそうになっていた。
そんなことを考えている間に、
「はーい、お絵かきの時間は終わりです。お片付けをしてお弁当の時間だよ」
先生の声が聞こえた。私は後ろ髪を引かれながら、クレヨンをお道具箱の中にしまった。
何日かして、またお絵描きの時間になった。
私は水色のクレヨンを無くしてしまったことをすっかり忘れていた。いつものようにクレヨンを開けたとき、水色がないことを思い出した。落とした時の悲しい気持ちが蘇ってきて、また泣きそうになっていた。
今日はすのこの上で書くのは辞めよう。また落とすと悲しいから。
その日は教室の中で、小さくなって絵を書いていた。
すると、隣にいた男の子が、私のクレヨンを見て言った。
「なんで水色だけないん?」
私は黙っていた。
「なくしたんやろー?」彼は私を嘲笑うかのように言った。
「なくしてない」私は反論した。「今日は忘れてきただけ」
私が必死になればなるほど、彼は私をからかった。
「水色がないと、空も海も書かれへんで」彼は笑いながら言った。
「今日は水色使わへんからいいねん!」私は半泣きになりながら訴えた。
次のお絵描きの時も、また彼が私の隣にやってきた。
「今日は絶対空書くで。だから水色がないと書かれへんで」
「ほっといて!」そういうのが精一杯だった。私は内心不安でいっぱいだった。
みんなでお空を書きましょう、って先生に言われたらどうしよう?
私は水色がないから書かれへん……
どうしよう、どうしよう……
大好きだったお絵描きの時間がだんだん辛くなっていた。
「今日は水色、絶対使うと思うわ」彼はしつこいぐらいに繰り返した。
私は水色のところだけぽっかりと空いたクレヨンの箱を目の前にして、とうとう泣いてしまった。
「どうしたの?」先生が心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
私の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。もう黙ってはいられない。言うしかないと思った。
「あのね……、ヒーッ、みずいろの……ヒーッ、ヒーッ、クレヨン……ヒーッ、
落としたの……あの下に……えーーんうえーーん」
私は泣きながらすのこを指さした。
今から思えば、落とした時すぐに先生に言っていれば、すのこを持ち上げて探すことができたはずだ。けれども幼稚園児の私にはそんな発想はなかった。まさかあんな大きなすのこを持ち上げることができるなんて思っていなかったから。私の中では落としたら最後、二度と取り出すことはできないと思っていた。それくらい私にとっては重大な失敗だったのだ。だから言えばきっと先生に叱られると思った。「取り返しのつかないことをして!」と。
ところが、先生は何も怒らなかった。「よしよし、今までひとりで我慢してたんだね。困ったときはすぐ先生に言ってね。大丈夫、大丈夫」そう言って先生は、幼稚園にある予備のクレヨンの中から、水色のクレヨンを私に手渡してくれた。
それ以来、彼は私に近づいてこなくなった。どうやら先生にたんまりと叱られたようだ。
そしてなぜか、私の手元にはもう一つ、新品の12色入りクレヨンがあった。
私をからかった彼は、先生に叱られたあと、そのことを親に報告され、申し訳ないと思った彼の母親が、お詫びにと新品のクレヨンを持ってきてくれたのだった。
なんだか複雑な気持ちだった。私は何も悪いことはしていない。だけど……
結局私はその新品のクレヨンを使うことができなかった。
人に迷惑をかけたくないと思い、自分ひとりでなんとかしようとしたことが、結局自分の力ではどうすることもできなくなって、大きな迷惑をかけてしまうことがある。
「もっと早く言ってくれればよかったのに」と。
あのころの私は大人に気を使っていたんだと思う。大人に迷惑をかけないように、大人の手を煩わせないようにと、小さいながらも精一杯頑張っていたような気がする。5歳の私には、まだまだできないこと、わからないことのほうが多かったはずなのに。
いや、すっかり大人になった今も、できないこと、わからないことだらけだ。結局はいくつになっても、できないことをできないと素直に言えるか、わからないことをわからないと素直に聞けるか、本当はそれが人に迷惑をかけないことなのかも知れない。水色のクレヨンが私に教えてくれたのは、「素直になる」ということだったようだ。