まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

おばさんになって初めて気づいた私が大学に行った意味

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「大学では何を専攻されてたの?」

これを聞かれるのが一番辛い。大学には一応通っていた。4年制の大学に。ところが何も専攻していない。いや、厳密にいうと専攻はあったのだ。ただ全く勉強していないというだけで。文系の大学生なんて概ねそんなものなのかも知れない。私も周りにいた友人たちもほぼそうだった。

 

母親には手に職をつけなさいとしつこいぐらい言われた。ところが彼女のいう手に職とは学校の先生か歯医者か薬剤師、この3つしかなかった。その職種がどうこうというよりも、私の将来を勝手に決めようとする母親の押し付けがいやだった。だいたい大学というものは遊ぶところだと思っていたから、大学に入ってまで勉強する気はさらさらなかった。

私は母親の押し付けを振り切って、思い通り4年制大学の文学部に入学した。

 

 

大学は自由だった。厳しい校則もなければ、授業に出ようがさぼろうが、誰にも何も言われない。授業もとりあえず初めは一通り出てみたけれど、面白いと思うものもなかった。それでも卒業だけはしないと親に顔向けできないから、できるかぎり授業に出ずに、勉強もせずに卒業する方法、それだけを考えて毎日を過ごしていた。授業に出る子に頼んで代返してもらった。試験の前には講義ノートなるものを購入し、それを丸暗記して試験に臨んだ。成績なんかどうでもいい。ぎりぎりでもなんでもいいからとにかく単位が取れて卒業できればそれでよかった。

 

そうやって無事進級し、2年生の後期に入った頃だった。相変わらず授業には極力出ずに、テニスサークルでテニスに明け暮れたり、バイトをしたり、彼氏とデートしたりして日々を過ごしていた。そんなとき友人からどこのゼミに入るのか? と尋ねられた。ゼミって何? ゼミが何をするところなのかもわかっていなかった。当時は各学部に掲示板というのがあって、休校の情報や、大事な連絡事項は全てそこに掲示されていた。ところが私があまりに授業をさぼりまくっていたばかりに、掲示板を見落としていたのだ。気づいたときにはゼミを決める期間がとっくに過ぎてしまっていた。

 

私はあわてて学生課に行って、掲示板を見落としていた旨を説明し、私が入りたいと思っていた日本史のゼミに申込みたいとお願いした。

実はその日本史というのも、入試のときにちょっと日本史を勉強したからというそれだけの理由でとりたてて日本史が好きだというわけではなかった。そもそも文学部という学部を入試の時に選択したのも、女子だから文学部というたいして意味もない理由だ。その文学部の中の数ある学科の中で、日本文学は興味ないし、哲学なんてとんでもないし、心理学もやりたくないし、消去法で残ったのが日本史だった、というそれだけの理由だった。

 

ところが学生課の人は、「もう期限が過ぎていますから無理です」の一点張りで、そこをなんとかといっても絶対に首を縦に振らなかった。そして彼女は最後にこう付け加えた。

「今から入れるゼミがひとつだけあります。」

なんのゼミですか? と尋ねると、「地理です」と彼女は答えた。

 

地理?? 地理だって? 

地理は中学でも高校でも最も苦手とする教科だった。地名とか気候とか産業とか、まったく興味がなかった。今でも関西地方以外は県の位置が把握できていないし、だいたい私は極度の方向音痴だ。

 

「地理なら今からでも入れます」

彼女は私に地理のゼミに入るように勧めてきた。私は気が進まなかった。だって本当に興味がないのだから。それでもどこかのゼミに所属しなければならないと思い込んでいた私は、それ以上彼女と押し問答するのは諦め、仕方なく地理のゼミに入ることにした。まあ大学だし、中学や高校みたいに、地名やら川の名前やら覚えさせられることはないだろうし、まったく興味がなかった世界に足を踏み入れてみるのもいいかもしれない、とそのときはプラス思考でそう考えていた。

 

ところが、初めてゼミに行って、私はすぐに後悔した。

ゼミは私を含めて5人しかいなかった。加えて私以外は全員男子。しかも全員勉強一筋なタイプ。私とはまったく違う世界を生きてきたんだなということが見ただけでわかった。

 

このゼミに、卒業まで毎週通う??

考えただけでも地獄だった。だけど卒業するためには仕方がない。先生はかなりお年を召しておられていて、その道ではとってもおエライ方だったようだけれど、正直何をおっしゃっているのかチンプンカンプンだった。

そんな環境の中、私は卒業までの2年間ゼミに通い続けた。これも全て卒業のためだった。

 

そして私は、無事卒業証書を手に入れ、とある会社に就職した。

 

 

社会に出て半年ぐらい経った頃、私はあることに気づいた。それは、大卒であるかどうかと、仕事ができるかどうかはあまり関係がないということだった。偏差値の高い大学を出ているということは、それなりに一生懸命勉強しているということ、だから仕事もできると思っていたけれど、それは私の勝手な思い込みだった。反対に大学を出ていないからといって、仕事ができないわけでもない。そんなことを就職するまで気付かなかったのも、今思えば情けない話であるが、それなりに受験勉強して大学に入り、嫌なゼミに2年間も通い続けてまで卒業した意味は果たしてあったのだろうか? 私はそんなことをと思いはじめていた。

 

7年間OLとして働いたあと、私は結婚して専業主婦になった。子供が生まれて、私は○○ちゃんのママになった。○○ちゃんのママだから、○○ちゃんについて聞かれることはあっても、母である私のことを聞かれることはない。もちろん大学を出ているかどうか? なんて聞かれるはずもなかった。

 

私はますます考えるようになった。私は何のために大学に行ったんだろう? ○○ちゃんのママになるんだったら、大学なんて行かなくても良かったのではないだろうか? 中途半端に受験勉強なんかしてしまったもんだから、たいしたこともできないくせにプライドだけ高くなって、主婦である自分に満足できず、もっと何かできるんじゃないか、なんて変な勘違いをしてしまう。こんなことなら初めから大学なんて行かずに、さっさとママになっていれば良かったんじゃないか? そんなふうに思うようになった。

 

高い授業料を払って4年間も通わせてもらいながら、ほとんど授業にも行かず、挙句の果てに何のために行ったんだろう? なんて親が聞いたら泣くだろうな。「だから手に職をあれほど言ったのに!」って言われてしまいそうだ。

 

親を泣かせないためにも、大学に行った意味を見つけたかった。ところがずっと見つからないまま20年余たち、とうとう自分の子供が大学生になって、今度は私たちが高い授業料を払う立場になった。

 

娘も息子も文系の4年制大学、私たちの頃よりは厳しくなっているらしいけれど、それでもたぶん勉強はほとんどしていないだろう。それも重々承知の上、4年間かけて、高い授業料を払って、大学卒という看板を買いに行く。相当高い買い物だ。その看板が子供の今後の人生の中で大きく役に立つことがあるのかどうか、私にはわからない。なぜなら私自身が役に立ったのかどうかわからなかったからだ。

 

 

そう思いながら授業料を払い続けてきて、最近になって気づいたことがある。

私は大学卒という看板を手に入れることしか考えていなかった。でも実は看板を手に入れるよりももっと大事なことがあったのだ。それは看板を手に入れるまでのプロセスだった。

 

勉強もしていない、何かに打ち込んだわけでもない、ただなんとなく流れに乗って、周りに合わせて過ぎ去った4年間。楽しくないわけではなかった。けれどあまりに中身がなさすぎた。私が大学に行った意味を見いだせなかったのは、プロセスをすっとばして卒業という結果だけを追い求めていたからだったのではないかと。

 

今、私が子供たちに伝えられることがあるとしたら、看板を手に入れることも大事だけれど、それ手に入れるまでの過程、看板に色を塗ったり絵を書いたりする、その一つ一つを味わい、経験すること、そのほうがもっと大事なんだということ、それだけだ。もしかしたら私が大学に行った意味は、それを子供に伝えるためだったのかもしれない。

 

記事:あおい