まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

「スッピンでごめん」からの卒業。

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「すっぴんでゴメン……」

 

最近の私は、人に出会ったとき必ずこう言ってしまう。

すっぴんがまるで悪いことであるかのように。

 

私は今化粧ができない。

肌が荒れているからだ。

 

いや厳密に言うと、ずっと肌は調子よくなかった。

でも化粧してごまかしていたのだ。

 

社会人になってからというもの、私は出かけるときには必ず化粧をした。

 歩いて2分の近所のスーパーに行く時でさえも、すっぴんでは行けなかった。

スーパーに行くために化粧をした。

 

「化粧をせずに外出する」ということは、私の中では考えられないことだった。

それは服を着ないで外出するのと同じぐらい私にとっては恥ずかしいことだった。

 

といって、化粧が好きで好きでたまらないのかというとそうではない。

どちらかというと面倒だししたくないと思っていた。

スベスベお肌の人がほぼすっぴんで外出しているのが羨ましかった。

 

私も肌がきれいだったら、メイクしないのに……

いつもそう思っていた。

 

 

ところが今、私は肌が綺麗なわけでもないのに、すっぴんで出かけざるを得ない

状況に陥っている。といっても、自分で望んですっぴんで歩いているわけではない

から、隠せるものなら隠したいと思っている。

 

だからサングラスは欠かせない。

電車に乗っても、建物の中に入っても、サングラスは外さない。

本当はサングラスなんて大嫌いだ。だってカッコつけてるみたいだし、

顔の真ん中にずっと鎮座しているなんて、不自由極まりない。

でも外したら、荒れた肌が丸見えになる。だから少々不自由でも我慢する。

 

が、さすがに人に会うときに、サングラスをしたままというわけにはいかない。 

だから、謝ってしまうのだ。

あなたに出会う日に、こんな顔でごめんなさい。

まるで何か汚いものでも身につけてきたかのように謝ってしまうのだ。

 

出会った相手は、そう言われて、一瞬お気の毒に、といった表情を浮かべる。

でもその先はだいたい、何事もなかったかのように話が進んでいく。

 

 

そうなることはわかっているのに、つい謝らずにはいられない自分。

 

 

そんなある日のこと、出会った方にまたいつものように「すっぴんでごめんね」

と謝ったのだけれど、翌日彼女から届いたメールには

こんなことが書いてあった。

 

「すっぴんのあおいさん、ステキでしたよ。

お化粧できないってこと謝らんでいいのに、と思ってました!」

 

ス・ス・ステキ???

 

なにかの間違いじゃないの?

 

でも確かにそう書いてあった。

 

 

 

 

そうなんだよね。

相手は、たぶん全然気にしていない。

もしかしたら、私が「スッピンでごめん」といわなければ、

そんなものだと思って受け止めてくれるのだと思う。

 

なのに私がわざわざ、「ごめん」なんて申し訳なさそうにいうもんだから、

相手もそれに合わせて、気の毒そうな表情をしてくれているだけなのだ。

 

 

謝らんでいいと言われているのに、なぜ謝る?

 

 

それは、今の自分を大切に思ってないからだ。

 

こんな自分でもいい

こんな自分も大好き

こんな自分も愛しています

心の底から思えていないからなのだ。

 

 

 

 

「その肌荒れは、自分に対する怒りだ」とある人に言われた。

確かにそうかもしれないと思う。

「なんでもっと、自分を大事にできないの??」

って自分に怒っているのだ。

 

 

いや、私は大切にしてきたつもりだった。

人様にもそう伝えてきたし、自分にもそうしているつもりだった。

でもそうではなかったようだ。

 

自分を大切にしてね、ってお伝えしているうちに

自分のことが置き去りになっていたなんて……なんということだろう。

 

 

どうやったら自分を大切にできるのか?

自分を大切にする方法が、今わからなくなってしまった。

 

 

 

「そんな顔でも

あなたはあなたを愛しますか?」

 

神様から突きつけられた誓いの言葉。

 

 

今はまだ、イエスとは言えない。

 

 

そんな私に今、できることがあるとしたら、

「すっぴんでごめんね」と言わないこと。

 

彼女からもらったありがたい言葉をしっかりとココロに刻み、

すっぴんでも前を向いて歩いていくこと

だって、私という存在には何ら変わりはないのだから。

 

 記事:あおい