まるこ & あおい のホントのトコロ

さらっと読めて、うんうんあるある~なエッセイ書いてます。

オンナに振られたオンナが、苦悩の末にたどり着いた結論

 

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「交換日記」というものを、今の若者たちは知っているだろうか?

一冊のノートにその日の出来事などを日記のように書き綴り、仲間うちで順番に回していくというもの。携帯電話がない時代に流行った超アナログなコミュニケーションツールのことである。

 

私は中学2年生から交換日記をしていた。ある一人の女の子と。

彼女とは中学一年生の時、クラスは違っていたけれど、クラブ活動で一緒になった。特に仲が良かったわけではない。当時女子たちがこぞってやり始めていた交換日記という流行りに乗り遅れたくないという、それだけの理由で、たまたまその時そばにいた彼女とやってみる? っていう話になったのだった。まあ嫌になったらやめればいいしという、お互い軽い気持ちだった。

 

まずは私から書くことになった。学校の帰り道でちょっと可愛い気なノートを調達した。家に帰り表紙に「きょうことあきこの交換日記 No.1」と記し、1ページ目をめくる。そして今日の出来事を綴る。

 

「おかんがさあ、勉強勉強ってうるさいねん。やろうとしてるのに、言われたらほんまやる気なくなる。めんどくさい。黙ってて欲しいわ」

 

「そうそう、電車の中でかっこいい子見つけた。たぶん○○高校やと思うわ。

めっちゃかっこええねん~でもすぐ電車降りるから一瞬しか見られへん」

 

翌朝、学校に着くとすぐ、隣のクラスのきょうこちゃんにノートを渡しにいく。彼女が家に持ち帰り、私のページを読んだら次は彼女の番。

「今日も授業だるかったー。特に数学。もういや。

おかん、わかるわー。うちもおかんウルサイで。うちの場合は勉強よりも食べろ食べろってうるさい。また太った。もういや」

 

そんなたわいもない会話が延々と続く。多い時には2ページ、3ページと。

先生がどうだ、友達がどうだ、彼氏がどうだ、どうでもいいようなことが気になったり、腹立たしかったりするそんな時期に、こうやって吐き出せるところがあるというだけで気持ちいい。

 

私はいつの間にか、この交換日記がものすごい楽しみになっていた。きょうこちゃんはきょうはどんな一日だったのだろう? 私の書いたことに対して、どんなふうに反応してくれるのだろう? それら全てが知りたくて仕方なかった。私は宿題を忘れても交換日記を忘れたことはなかった。ところがきょうこちゃんは、よく書くのを忘れてきた。その度にごめん、ごめん、と言って謝ってくれたし、忘れた分多めに書いてはくれるけれど、私のほうがこの交換日記にのめり込んでいるような気がして、温度差を感じることがあった。

 

そうはいいつつも、私たちは2年、3年と交換日記を続けていた。同時期に交換日記を始めた友人たちは、ほとんどの子が一年もしないうちに辞めてしまっていたにも関わらず。続ければ続けるほど、私はきょうこちゃんのことが好きになっていた。おっとりしていて優しくて天然で、私とは正反対の性格。誰にでも好かれる。そんなきょうこちゃんが羨ましくもあった。相変わらず同じクラスになることはなかったけれど、それがよかったのかもしれない。もっといろいろ話したいのにクラブでしか顔を合わせない。それが相手を知りたいという気持ちを増幅させていた。口では言えないことも、交換日記では遠慮なく言えた。ほかの人には言えない二人だけの秘密も。お互いに友達はたくさんいたけれど、交換日記をしている私たちは、普通の友達とは違う特別な関係、そう思っていた。

 

途中やめそうになりながらも交換日記は高校2年生まで続いた。お互い受験勉強に専念しようということになり、一旦中断ということになった。

 

私たちは大学生になった。別々の大学になって会う回数も減ったけれど、4年間の絆はどんな状況でもしっかりとつながっていると思っていた。ずっとその関係が続くと思っていた。

 

就職して一年も経たないうちに、彼女は結婚して関東に行くことになった。今までのようには会えなくなった。それでも関西に帰って来るときには、必ず連絡をくれた。本当は2人だけでいろいろ話したかったけれど、たまにしか帰ってこないのだからそうもいかない。大勢で出会うことが多くなった。でも私はこう思っていた。離れていても私は彼女にとって特別な存在であることに違いはない。4年間の毎日の交換日記が私にそう確信させていた。

 

きょうこちゃんより5年遅れて結婚した私は、すぐに子供が生まれて子育てに専念することになった。子供がいないきょうこちゃんには、なんとなく連絡しづらくなり、年に一度電話するかどうか、それくらいの頻度になっていた。それでも電話で話すと、まるで昨日も一緒だったかのように自然に話せるのは、やっぱりきょうこちゃんだからだった。やっぱり4年間の絆はずっと繋がっている、電話の度に私はそう確信した。

 

 

気がついたら10年経っていた。きょうこちゃんが久しぶりに帰省するという話を別の友達からきいた。私は驚いた。これまで帰省するときは、まず私に連絡をくれていたのに。友達の方に先に連絡していたというのが正直ショックだった。

その友達が日程も場所も段取りしてくれて、高校時代の仲間で久しぶりに食事をすることになった。

 

10年ぶりに出会ったきょうこちゃんは何も変わっていなかった。相変わらずおっとりしていてますます天然になっていた。久しぶりの仲間と夜中まで語り合った。帰り道できょうこちゃんと二人で並んで歩いているとき、「きょうこちゃん、いつ戻るの?」と聞いてみた。するとまだ1週間ぐらいこちらにいるという。「だったらさ、一度二人で会わへん? 久しぶりにゆっくり話したい」私はそう伝えた。

 

「それがさあ、一週間いるんだけど、母親やお姉ちゃんに会うのも久しぶりだし、姪っ子たちとも出かける約束してたりして、結構忙しくて……でもまあどっかで時間取れると思うから、帰るまでに連絡するね」彼女は言った。

「うん、待ってる」そう返事してその日は別れた。

 

そして私は彼女からの連絡を待っていた。ところが3日たち、4日たっても連絡がない。きっと忙しいんだろうな、でも必ず連絡するって言ってたしもう少し待ってみよう。私たちは特別な友達だし。そう思っていた。

 

明日で約束の一週間という日。まだ連絡がなかった。彼女の携帯に電話をしてみた。留守番電話だった。私は「折り返し連絡をください」とだけメッセージをいれて、彼女からの連絡を待った。ところが、その日の夜になっても電話はかかってこなかった。

 

いてもたってもいられなかった。電話するって言ってたのにどうなってるんだろう? 病気でもしたのかな? 心配になって私はショートメールを送った。

「何かあったの? 心配してます。電話待ってます」

結局その日、彼女からの連絡はなかった。

 

翌日になって、やっと彼女からメールがきた。

「連絡しようと思いながら、忙しくてできませんでした。ごめんね。今回は会えなかったけど、また次回帰省したときに遊んでください。じゃあまた」

 

私はその文面を何度も読み返した。

確かにきょうこちゃんからの返事だった。

でも、それは私が思っていたきょうこちゃんではなかった。

 

連絡すると言いながらしてこなかった。忙しかったのかもしれないけれど、電話の一本ぐらいできただろう。メールぐらいできただろう。私はずっと待っていた。久しぶりに二人で会えると思って楽しみにしていたのに。私からの電話とメールに対する返事も、結局丸一日たってからだった。しかもまた次回ってどういうことよ。もう帰ってるやん! 会えないのなら会えないって、なんであの時言ってくれなかったんよ。待つだけ待ってアホみたいやんか!

 

邪険に扱われたことに対する腹立たしい気持ちと、私はその程度の存在だったのかという寂しい気持ちが、絡み合うように同時に湧き上がってきた。

 

まるで大好きだった彼氏に振られたオンナみたいやな。

ただの女友達やのに。なんなんやろ、この裏切られた感。

 

私のことを特別な存在だと思ってくれている、ずっとそう思い込んでいた。あの4年間の交換日記、二人だけの秘密。遠く離れていても、会わなくても、二人の間には深い絆がずっとあって、それは一生変わらないと思いこんでいた。ところがそう思っていたのは私だけ。

彼女はとっくに変わっていた。

 

私はそんなきょうこちゃんのことをどう受け止めていいか分からなかった。

「わかりました。じゃあまた」とだけ返信をした。

 

それ以降、私は彼女に一切連絡しなかった。自分だけの片思いみたいで悔しかったからだ。彼女からの連絡も年に一度の年賀状だけになった。そこには毎年「今年こそ会おうね」と小さな字で書いてある。それを見るたびに思った。どんな顔して会えばいいわけ? 私は普通の顔をして彼女に会う自信がなかった。私は何のコメントも書かずに印刷した文字が踊るだけの年賀状を毎年送り返した。

 

 

最後に出会ってから5年が過ぎた。月日が経つにつれて、彼女とのことをだんだんと冷静に考えられるようになってきたとき、私はずっと、きょうこちゃんが変わってしまったと思っていたけれど、もしかしたらそれは違っていたのかもしれないと思うようになったのだ。

 

私たちはずっと特別な存在、私は彼女のことを誰よりも理解していると思っていた。ところが、私たちの間にはいつの間にか、交換日記をしていた4年間の何倍もの月日が流れていた。その間にお互い何があったのか、ほとんど知らない。私は、彼女のことを理解していると思い込んでいただけで、実はあの4年間以外、彼女のことは何も知らないのだ。彼女だけが変わったのではない。お互いの住む世界が変わっているにも関わらず、私は過去の思い出だけをずっと引きずって、あたかも今そうであるかのように思い込んでいただけだったのかもしれない。

 

もう今となっては、特別な関係であろうかなかろうが、正直どっちでもいい。それよりも、もしこのまま会わずに人生終わってしまったとしたら、それこそ後悔するよな、と思う。

 

今なら会えると思う。普通に、友達として。

「今年こそ必ず会いましょう」来年の年賀状にはそうコメント入れてみようかなと思う。

 

記事:あおい